公益財団法人 吉田秀雄記念事業財団 Yoshida Hideo Memorial Foundation

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「鬼の贈り物」

近代的広告会社の実現

広告界の近代化、なかでもその中核をなすべき広告会社の近代化に、文字通り命がけで取り組んだ吉田秀雄の強烈なエネルギーの源は、果たして何処にあったのでしょうか。そこには、かつての広告代理店蔑視の風潮を身をもって体験した吉田の屈辱感と、通信・広告併営時代における電通の広告部門の従属的地位、そしてそれ故の広告部門整備の遅れに対する焦りや苛立ちがあったであろうことは想像に難くありません。

広告専業化をバネに
昭和11年6月、電通は通信部門を同盟通信に移管し広告専業会社となりました。翌昭和12年7月、電通主催の夏期広告講習会の講師を務めた若き吉田秀雄は、過去36年に及ぶ通信と広告の併営時代を振り返りこう述懐しています。すなわち、電通の通信部門の発展は広告部門の併営があってこそ達成されたとした上で、「もし仮に電通が広告代理業専業であって、その36年にわたる通信事業へのたゆみなき努力と多大な犠牲を、広告代理業のみに傾倒し得たとしたならば、電通は世界有数の広告代理業会社として、数千万円の資産と、代理業として高度完璧の組織機構を持ち得たであろう。」 当時吉田がどのような広告代理業の未来像を描いていたかは定かではありませんが、そこには36年のハンディキャップを背負いながらも、近代的広告会社へのキャッチアップを目指す、吉田の熱い想いを読み取ることができます。

AE制の導入に着手
吉田の近代的広告会社実現に対する取り組みが一気に開花したのは昭和31年でした。この年の2月、吉田は戦後初の海外視察に出掛け、アメリカにおけるマーケティングの台頭とマーケティング時代における広告と広告会社の在り方を目の当たりにして強い感銘を受けました。広告主のマーケティング・戦略の一翼を担い、高度にシステム化されたAE(アカウント・エクゼクティブ)制を採用するアメリカの広告会社の姿は、吉田を俄然奮い立たせたに違いありません。
AE制とは広告会社が広告主との契約に基づいて、広告主企業の一つもしくは複数の商品の広告活動をその立案から実施まで、一括して担当するシステムであり、その広告会社側の担当責任者がAEです。
帰国した吉田は直ちに電通にAE制の導入を試みました。昭和31年6月には社内に向かってAE制の意義と具体的な導入構想を発表、2年後の昭和33年8月から大阪支社において試行したうえで、翌年9月には東京本社、大阪支社の営業体制を一新し、連絡局を設置して本格的なAE制の実施に踏み切りました。

それまで日本の広告会社で一般的であった媒体別の縦割り方の営業組織を、連絡局という広告主単位の営業組織に組替え、さらにこの連絡局を支援する社内協力部門としての調査部門、クリエーティブ部門を強化・再編しました。その上で、媒体、調査、企画、クリエーティブのスタッフによって構成されるプロダクトチームを編成し、AEがチームを統括するという、総合連絡制をスタートさせました。 これが、わが国における初のAE制の導入であり、今日なおわが国の広告会社に継承されている、日本型広告会社の基本型の成立でした。

広告業界の近代化に範を示した
AE制導入が一段落した昭和35年2月、吉田は社内会議で近代的広告会社についてこう語っています。
「近代広告代理店とは何か、たった一言でいうならば、その時代における経済活動が必要とする広告宣伝作業を、その経済界を構成する個々の企業に代わった代行する機関、いうならば広告主の広告活動、あるいは広告宣伝の一切を代行する機関である。」

進行する貿易自由化の荒波の中で、欧米の先進的メガエージェンシーの攻勢にさらされていたわが国広告業界のリーダーとして、吉田は電通を近代化することがわが国の広告業界を護り、ひいては業界の近代化を促すものと確信していました。そして日本型の近代的広告会社とは如何なるものかを明らかにし、その成立可能性を実証してみせたことが、今日の広告業界に隆盛をもたらしたといっても過言ではありません。