公益財団法人 吉田秀雄記念事業財団 Yoshida Hideo Memorial Foundation

財団の概要


ホーム >> 財団の概要 >> 吉田秀雄について - 「鬼の贈り物」

「鬼の贈り物」

広告界の国際化を推進

広告に注がれた吉田秀雄の眼差しは、早くから広告先進国の欧米諸国へと向けられていました。電通入社(1928年)の翌年には、同期入社の有志とともにアメリカやイギリスの広告専門書の輪読会を行い、先進の理論の吸収に務めていますが、そこには当時の広告界の現状を憂いた吉田の危機意識が色濃く現れています。後年吉田は、当時の広告界を振り返って、「終戦までの日本の広告界は、古事記以前だったし、日本書紀以前だったろうと思います」(『広告の中に生きる男』片柳忠雄著)と語っています。
しかし1947(昭和22)年に社長に就任した吉田が、実際に広告会社の国際化に乗り出すには10年余りの歳月を要しました。その間吉田は、電通社員にアメリカにおけるマーケティングや広告理論、クリエーティブ、広告会社や広告取引の態様を積極的に学ばせ、欧米の広告会社へのキャッチアップの足固めに費やしています。

国際的広告会社電通の実現に取り組む
'56(昭和31)年、吉田は約2ヵ月半にわたって海外視察を行い、香港、バンコク、ニューデリーを経てアメリカに入り、さらに英・仏・独・伊のほか、スイス、スウェーデンにまで足を伸ばしています。
その間、ニューヨークではAAAA(アメリカ広告業者協会)主催の「国際広告代理業首脳者会議」に出席し「日本広告界の現状」と題して講演を行いました。この海外視察が電通のAE制導入やマーケティング、クリエーティブの近代化の契機になったことは既に別項で述べたとおりですが、同時に電通の本格的国際化の出発点になりました。

海外視察から帰国した吉田は、電通の海外ネットワークの構築に乗り出します。'56年にはハワイ・ホノルルに駐在員事務所を開設し、'59(昭和34)年にはニューヨーク事務所、'60(昭和35)年にはシカゴ、ロサンゼルスに駐在員を置くなど、海外拠点の拡張に努めると同時に、本社に国際広告局を設置しました。'61(昭和36)年にはニューヨークに米州総局を開設、翌年にはパリに欧州駐在員を置くなどその取り組みは極めて意欲的でした。
'61年3月、吉田は広告活動の国際化を進める上で不可欠な海外広告会社との協力方式として業務提携方式を採用し、海外広告会社との提携関係を積極的に拡大推進していくことを決定、これを「電通インターナショナル構想」と名付けました。その成果は同年9月のアメリカのヤング・アンド・ルビカム社との提携実現となって開花します。

もう一つ忘れてはなられないことは、台湾広告界に対する吉田の貢献でしょう。幼くして台湾で父を失った吉田にとって、台湾は人一倍思い入れの激しい場でありました。'61年2月、吉田は台湾における広告会社設立に指導と助言を求められて彼の地に赴き、「広告は経済に貢献するものであり、将来は経済を牽引する産業になる」と説いて、台湾における広告産業の確立を力説しました。
吉田の勧めで同年5月、国華廣告事業股有限公司が設立され、電通は3人の社員を派遣しています。後に同社の社長を務め、今日なお台湾の広告界を指導する頼東明氏は、吉田を「台湾広告界の父」と呼び、いまなおその功績をたたえています。

世界広告界への仲間入り
このような吉田の積極的な取り組みは、国際的にも広く認められるところとなり、'56(昭和31)年5月にはIAA(国際広告協会)副会長(極東地区担当)に指名されました。翌'57年には日本国際広告協会(JIAA)を発足させ。'58(昭和33)年には電通が提唱して、初のアジア広告会議を東京で開催します。この大会にはインド、タイ、香港、台湾、アラブ連合の各国と地域から代表が参加しました。さらに'60(昭和35)年には、第二回アジア広告会議を再度、東京において開催、アジア地域における広告界の結束と発展を図りました。
このような吉田の行動を高く評価したIAAは、'61(昭和36)年、この年に最も著しい功績を残した広告人として吉田を選び、IAA賞「マン・オビ・ザ・イヤー」を贈ることを決定しました。これは世界で11人目、アメリカ以外では2人目、アジアからは初の受賞でした。

アメリカの経営雑誌「Fortune」は'58(昭和33)年10月号に「Big Demon Adman」という記事を載せ、封建的なしきたりと近代的な効率重視主義を両立させた経営者として吉田を紹介し、「もし私が広告の大鬼なら、わが社の社員は広告の小鬼のように働かなければならない」という吉田の言葉を引用し、その厳しい経営者振りを紹介しています。
その後、わが国広告界の国際化は急速に進展し今日に至りました。'63(昭和38)年、志半ばにして他界した吉田の目に、今日の広告界の隆盛はどのように映っているのでしょうか。