1965(昭和40) | 9月 財団法人吉田秀雄記念事業財団 発足。初代理事長に日比野恒次 就任 | |
66(昭和41) | 旧吉田邸を改修し、「吉田秀雄記念館」「吉田秀雄記念図書館」を開設 東京大学経済学部に広告研究の振興助成のため、研究費100万円を寄贈(1972年まで継続) |
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67(昭和42) | 大学の常勤研究者に 研究助成 開始。 | |
73(昭和48) | 理事長 中畑義愛 就任 | |
77(昭和52) | 理事長 田丸秀治 就任 研究助成 大学院生にも拡充 |
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78(昭和53) | 吉田秀雄記念館を品川区に譲渡。事務局と吉田秀雄記念図書館をギンザエイトビルに移転 | |
79(昭和54) | 『助成研究要旨集』発刊 | |
82(昭和57) | 吉田秀雄記念図書館の利用者が4,000名を超える | |
85(昭和60) | 理事長 木暮剛平 就任 創立20周年、井上靖氏を迎え記念講演会開催 |
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86(昭和61) | 産学協同研究として広告関係団体への助成開始 広報誌「ざいだんレポート」発刊 |
吉田秀雄の言葉がいつも熱いのは | 今のままではいけない |
広告の青春特有の気魄が | 一歩前に踏み出さねば |
ほとばしっているからだ | 生きて行けぬという |
やむにやまれぬ | 変革と前進の意志が |
怒りにも似た | こみ上げているからだ |
現状打破と成長への意欲が | |
渦巻いているからだ | 吉田秀雄の言葉が時として優しいのは |
自らの若き日の苦難の体験があるからだ | |
吉田秀雄の言葉が厳しいのは | 人間への慈愛と思いやり |
せっぱつまった危機感に | ヒューマンリレーションの大切さ |
つねにさいなまれているからだ | これらがビジネスのなににも代えがたい |
成功の秘訣であることを | |
知っていたからだ | |
岡田芳郎 |