新たなモビリティライフをMaaSで実現する

2019年9月25日 11:34 Vol.69
   
西村 潤也
小田急電鉄(株)経営戦略部次世代モビリティチーム統括リーダー
Junya Nishimura
2003年、小田急電鉄(株)に入社。鉄道現業を経て、運転車両部、交通企画部などに所属。その後、運輸総合研究所への派遣を経て、16年7月より経営戦略部に所属。次世代モビリティチームの統括リーダーとして、自動運転バスの実証実験やMaaSの開発に従事。

鉄道のほかにバスやタクシー、さらに商業施設や不動産を持つ私鉄は、MaaSの有力なプレーヤーの一つだ。小田急電鉄も私鉄のビジネスモデルの優位性を活かしてMaaSに取り組んでいるが、自前にこだわらず、地域の他のプレーヤーや、オープンなプラットフォームを介して同業の交通事業者との連携も模索している。多様なプレーヤーとの連携がキーとなるMaaSは今後どのように進化するのか。小田急電鉄の経営戦略部次世代モビリティチーム統括リーダーの西村潤也氏に展望を伺った。

MaaSで実現する快適で安心なライフスタイル

― 小田急電鉄は中期経営計画(2018~2020年度)の中で「次世代モビリティを活用したネットワークの構築」を打ち出しました。背景を教えてください。

西村 小田急電鉄は長年、複々線化事業に取り組んできて、2018年3月に代々木上原~登戸駅間の4線化を実現しました。いま創業92年目ですが、その先の100周年、200周年に向けて新しい小田急を世に出そうと考えたとき、重要になってくるのがデジタルコミュニケーションです。

私たちはリアルの顧客接点を持っていますが、デジタルの顧客接点は必ずしも十分ではありませんでした。ただ、鉄道やバス、タクシーといったリアルの接点があることは大きな強みです。そこにお客様にも有益なデジタルの接点を加えられれば、競争優位性が生まれます。

リアルの接点も、既存のモビリティだけに限りません。いま実証実験を行っている自動運転バスや、今後トライアルしていく予定のオンデマンド交通など、次世代モビリティを含めたラインナップが視野に入っています。それらをつなげて一つのアプリケーションで検索から予約、決済までできるようにして、お客様とデジタルのコミュニケーションを図っていく。現在、そうした方針のもとにMaaSの開発を進めています。

― デジタルコミュニケーションのあり方としてMaaSに注目されたのはなぜでしょうか。

西村 昨年4月に中期経営計画を発表した時点では、MaaSを戦略的に掲げている鉄道会社は多くありませんでした。ただ、単一ではなく多様なモビリティを組み合わせる考え方は昔からありました。そういった中でデジタル技術が進展し、ユーザビリティが高く、私たちプロダクト側としても使いやすいアプリケーションがつくれるようになり、世界でもMaaSの潮流が生まれてきた。「これは面白い発想だ」と勉強させていただき、私たちとしても率先して情報発信していくことになりました。

― MaaSが実現すると、社会はどのように変わっていくのでしょうか。

西村 私たちが提案しているのは、次世代のモビリティライフです。つまり従来の自家用車中心のライフスタイルから、交通サービスを活かしたライフスタイルに転換していただくことがゴールです。

この提案は、決して自家用車を手放せという意味ではありません。日本は超高齢社会に突入しました。私たちの沿線もそうですが、特に生産年齢人口が減っていて、高齢者は今後ますます増えていくでしょう。そうなると、本当はもうクルマを運転したくないのに、仕方がなく運転される方も増えてくる。そういった方々に、自家用車でなくとも便利に移動ができて、かつ、そのほうがむしろ快適で安心して暮らせるようなライフスタイルを提案できればと思っています。

MaaSというと「クルマか公共交通か」の対立構造で語られることが多いですが、私たちはクルマを否定しているわけではありません。クルマを利用したほうが便利なシーンもあるので、私たちが持ち合わせていないカーシェアやバイクシェアはタイムズ24やドコモ・バイクシェアといった他のプレーヤーとも連携して、新しいライフスタイルを提供していきます。

― 快適で安心して暮らせるライフスタイルとは、具体的にどのようなものでしょうか。

西村 例えば私の場合、週末、ファミリーカーで家族と商業施設に買い物にいきます。すると駅前で渋滞していたり、空いている駐車場を探すのに時間がかかることが少なくない。また、運転しているとお酒も飲めません。本当はもっと家族と楽しく、くつろいで過ごしたいのに、自家用車ゆえの制約がいろいろあるのです。一方、MaaSで公共交通機関の利用が便利になれば、鉄道やバスでゆっくり家族と会話を楽しみながら移動することができます。

観光地での移動も同様です。MaaSを活用すればタクシーの配車ができて、フリーパスでストレスなく移動することが可能になります。最初は小さな変化かもしれませんが、その輪が広がっていけば、私たちの収益も上がって公共交通網を維持しやすくなる。そうやってWin-Winの関係をつくることが理想です。

― もともと自家用車に乗る割合が低い都市部の住民には影響のない話でしょうか。

西村 都市の移動の仕方も変わるでしょう。いま経路検索をすると、徒歩と鉄道、バスの組み合わせで最速のルートを選んでくれます。ただ、1~2駅乗車後に乗り換えをする場合、現在の場所からバイクシェアで乗換駅まで行ったほうが早いケースもある。MaaSによってモビリティの組み合わせが増えれば、お客様にとっての選択肢も増え、より効率的な移動が可能になります。

もちろんスピードだけではありません。交通事業は、ゲート管理を徹底的にやってきた事業です。昔は鉄道に乗るために券売機で切符を買い、改札で券を通して、別の鉄道会社に乗り換えるときはまた改札を通り、駅から先のタクシーやバスではまた同じようにゲート管理がなされます。利用者にとってはそれがストレスで、移動のハードルを高めていました。現在、ICカードの活用で従来よりハードルは下がりましたが、MaaSのアプリでそれがさらに低くなるでしょう。

またアプリケーションが単なるナビゲーションを超え、コンシェルジュの役割を果たす未来も考えられます。例えば「健康を考慮して適度に歩く」という設定をしておけば、ほぼ同じ移動時間のルートの中から「このルートは健康にいいですよ」と勧めてくれるかもしれない。これもモビリティの選択肢が増えて、なおかつそれらが一つに集約されているMaaSだから身近になるライフスタイルです。

 
 
 
 

商業施設や住宅との連携で、体験価値を向上

― 利用者の利便性が高まることで、社会全体のアクティビティも増えるのでしょうか。

西村 そうですね。ただ、アクティビティを増やすためには、仕掛けがもう一つ必要です。移動はあくまでも手段であり、移動した先で何をするのかという目的がなければ、そもそも移動自体が起きません。ですから、買い物、仕事、旅行など、移動先でのアクティビティや消費行動と連動した形で最適な移動手段を提供することが大切です。

― 移動先との連携となれば、沿線に商業施設や住宅などを開発してきた私鉄ビジネスモデルはさまざまな可能性がありそうです。

西村 海外では事情が異なりますが、日本の場合、特に私鉄は商業施設やホテル、レストランなど、さまざまな集客装置をグループ内に持っています。おっしゃるように、そういった集客装置との連携は比較的やりやすいはずです。

実際、今秋にスタートするMaaSの実証実験では、新百合ヶ丘駅にある小田急の商業施設との連携を検討しています。実証実験では、現在別々のアプリで行っている鉄道とバスのリアルタイムの情報提供を、一つのMaaSアプリの中でシームレスに表示。さらに商業施設との連携として、一定のお買い上げをされた方にアプリ上で往復の無料バスチケットを配布する予定です。自家用車で商業施設にお越しいただくと、駐車場のご利用を一定時間無料にするサービスがよくありますが、それをバスで試行するイメージです。お客様が買い物に行くきっかけになり、商業施設にとっても集客効果が見込めるでしょう。

― ホテルや住宅とは、どのような連携が考えられるでしょうか。

西村 いますぐという話ではありませんが、ホテルに関しては、宿泊予約と同時に最適なルートを提案したり、行き先に合わせてフリーパスを提案したりといった連携ができるでしょう。

不動産に関しては大手デベロッパーとの連携も必要ですが、対象の不動産物件に住んでいる方に向け、賃料にオンした形でサブスクリプションの交通パッケージを提供することも可能です。また、大型のマンションなら一定の交通需要が見込まれますので、そこにお住まいの方向けにオンデマンドのバスを運行するようなアイデアもあります。

いずれにしても私鉄ビジネスモデルは沿線のお客様とのリアルな接点を数多く持っています。それらをデジタルでつなぐことでプライシングの自由度が増し、パッケージ商品もつくりやすくなります。

― 実証実験を行う新百合ヶ丘駅周辺には、全国的にも有名な商店が多いそうですね。そういった店舗を鉄道とバスで歩き回れるパスをつくるなど、体験のパッケージ化ができれば、利用者にとっての魅力が増すのではないでしょうか。

西村 面白いアイデアですね。私も近隣に住んでいるのでよく知っていますが、有名店のあたりはクルマが多くよく渋滞しているので、クルマからバスへのシフトを誘導するのはとても重要なことです。

ただ、小田急が目指すMaaSにご協力いただきたい、といきなり話をしても、すぐには理解いただけないでしょう。グループ内で一度、先ほど申し上げたような実証実験を行い、どのような体験価値が生まれて、集客にどれだけ効果があり、地域にとってどのようなメリットがあるのかをお見せすることで、地域の商店街やお店にも賛同いただきやすくなるのではないかと考えます。

当社では地域イベントをお手伝いするなどして、エリアマネジメントに力を入れています。MaaSという切り口で、さらに地域社会に寄り添い、一緒にまちづくりまで展開できたらと考えています。

   
 
 
 
 

MaaSというワードにはこだわらない

― この秋には、箱根エリアでも実証実験を行うそうですね。

西村 箱根はクルマ利用が多くて渋滞が起こりがちなので、公共交通の利用を促進する施策を議論しているところです。ただ、箱根は公共交通も混雑しています。観光客の方々はフリーパスを購入し、いわゆる“ゴールデンルート”を周遊されるケースが多く、人が集中してしまうためです。具体的には、初めて箱根に来られる方は、小田急のロマンスカーで箱根湯本駅に到着し、そこから急こう配の登山電車に乗って強羅駅へ。さらにケーブルカー、ロープウェーと乗り継いで芦ノ湖に行き、海賊船で観光した後、バスでまた箱根湯本方面に戻る、という人気のルートに集中します。

そこで多くの方がゴールデンルートに一定時間に集中しないように、アプリ上で複数の経路からリアルタイムで空いているところを情報提供。さらに将来的には、仙石原をはじめとした箱根内の拠点に寄り道していただくモデルコースをお知らせするなど、面的な回り方をご提案することも考えられます。反対回りでの移動や、途中からバスに乗る人が増えれば、混雑が緩和され、より快適に観光できるはずです。

また、現在はまだ駅窓口や旅行代理店、コンビニでしか買えない箱根フリーパスを将来的にはアプリ上でも買えるようにしていきたい。フリーパスには温泉施設や観光施設の優待や割引を付けていますが、GPSでお客様の近くにある施設を表示する機能も持たせることを検討しています。そうすると、スマホを見て散歩しながら、「優待があるなら、あの店でケーキを食べていこう」「200円引きになるなら美術館に寄ろう」と、予定になかった体験ができるかもしれません。単に既存のものをデジタルに置き換えるだけでなく、デジタルとリアルをうまくつなげ、お客様の体験価値を高めていきたいですね。

― MaaSアプリを多くの人に使ってもらうためには、どのような施策が考えられますか。

西村 箱根の場合は、フリーパス購入の際にアプリのご案内を検討しています。一方、新百合ヶ丘は日常的な暮らしの中で使っていただくアプリになるので、商業施設や公共交通の優待サービスのようなコンテンツでお客様を惹きつけていきたいですね。

どちらにも共通しているのは、MaaSというワードを前面に押し出して使わないこと。MaaSは交通業界で非常に盛り上がっていますが、一般の方にはまだそこまで浸透していません。プロモーションも、「MaaSです」という表現ではなく、「こんな便利なアプリで新しいライフスタイルを感じてみませんか」というように、MaaSでできる世界観を私たちなりにわかりやすく伝えていくつもりです。

   

 
 
 
 

なぜMaaSプラットフォームを他社と共有するのか

― 小田急電鉄は、MaaSの実現に必要なデータ基盤「MaaS Japan」を他の交通事業者とも連携して活用しています。オープンなプラットフォームにしたのは、なぜでしょうか。

西村 「こちらの沿線のほうが暮らしやすい」という沿線間競争は当然あります。ただ、小田急だから他の鉄道会社とは手を組みませんという話になれば、お客様の利便性向上につながらないおそれがあります。いい意味で競争をしつつも、連携できるところは連携していくことが大切。そもそもデータ基盤は共通でも、MaaSを通じてどのようなサービスを打ち出していくか、そのデザインは各社で異なるはずです。そこで競争できればいいのではないでしょうか。

現在、「MaaS Japan」には鉄道事業者としてJR九州と遠州鉄道というエリアの違うプレーヤーに入ってもらっています。もちろん私たちと同じエリアで競合となる私鉄が入ってくることもウェルカムです。

― 他のプレーヤーを巻き込むには、何が必要でしょうか。

西村 興味をお持ちの方には丁寧に説明をして、私たちのビジョンに共鳴していただける方と一緒に取り組んでいきたいと思っています。自分たちのところに囲い込むのではなく、きちんと握手ができるプレーヤーと一緒に社会をつくっていくスタンスでやっています。

我々は、「MaaS Japan」を“オープンな共通データ基盤”と呼んでいます。いわゆるプラットフォームビジネスではなく、より多くの事業者にMaaSに参画しやすい環境をご提供するために当社で開発した基盤をオープンにしているのです。

現在、データ基盤では、タイムズ24、ドコモ・バイクシェア、JAL、ジャパンタクシー、DeNAの5社が交通データの提供や予約・配車システムの連携を行っています。それに対して鉄道事業者は小田急を含めて3社。それぞれが個別に連携すると5×3で15本の線が必要になりますが、真ん中にハブをつくれば、3+5の8本でいい。事業者からすると、ハブに1本つなげるだけで、その先にある事業者と連携できるわけです。

中継点を通るときに手数料を取ればプラットフォームビジネスと同じですが、そのつもりもなく、頂くのはサーバー運用費などの実質的なコスト分だけ。それでも私たちにメリットはあります。例えば小田急沿線の方が九州や浜松に行った際、アプリにその地域のコンテンツが入っていれば、安心して使えますよね。プレーヤーが増えることによるスケールメリットがあるので、多くの事業者に共感いただき、参画してもらえたらと願っています。

― いま名前が挙がったほかには、どのようなところから引き合いがありますか。

西村 まちづくりを行っている自治体などにも興味を持っていただいています。自治体には地下鉄やバスを運営しているところがあります。そういった自治体では、公共交通の利用者を増やし、利便性向上や地域活性化につなげたいという思いを持っていらっしゃるため、お声がけいただくことが多いです。

その他、先ほど名前を挙げなかった交通サービス提供者とも話を進めていますし、移動先との連携という意味で、今後は小田急グループ以外の商業施設や不動産のプレーヤーと積極的に関わっていければと考えています。

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