—はじめに京都産業21の役割について簡単にお聞かせください。
岡本 私たちは京都府の産業振興に関わる事業をほぼ一手に引き受けている機関です。産業振興を担当する京都府の商工労働観光部が予算立てをして、例えばスタートアップの支援などを行いますが、そのいわば事業実施機関、実働隊。事業規模でいうと大体年間30億円ぐらい。主に補助金を通じて中小企業の経済活動やイノベーションを応援し、京都産業の発展に貢献することを目的としています。
歴史文化に培われた京都ブランド
—今回は中小企業に対する助成活動だけでなく、京都経済全般の特徴などについて話を伺えればと思います。まず、非常に興味があるのが、京都は他の地域では到底かなわない長い歴史があって、伝統産業や長寿企業も多い。その一方で、イノベーションを起こす企業も注目されています。伝統と革新を両立させている理由は何でしょうか。
岡本 京に都ができて1300年近く。まずは歴史・文化の重みと京都ブランドの関連性は大きいと思います。つまり京都の場合、近代産業の発端というのは島津製作所なんですね。島津製作所といえば、田中耕一さんが日本の民間企業で初のノーベル賞を取られた会社であり、1875年創業ですから150年近い歴史がある。そして、その始まりは仏壇・仏具の製作です。
明治維新期、島津製作所は仏壇周りの燭台などの製作技術を応用して、教育用理化学器械を作り始めました。レントゲン博士がエックス線を発見したわずか1年後、1896年には、早くもエックス線写真の撮影に成功しています。そこから今ではMRIなど医療機器を中心に、幅広く展開しています。
島津製作所が新たな分野へ進出を図ると、次々と関連の事業が生まれます。レントゲン発生装置の電源として鉛蓄電池を開発すると、日本電池として分社化。現在はGSユアサに。そして鉛蓄電池の鉛粉末を活用する塗装部門、大日本塗料を設立。また機関車用バッテリーを開発した日本輸送機が生まれてニチユに変わり、いまは三菱ロジスネクストになっています。時代とともにどんどんダイナミックに変わっていきましたが、その原点は仏具製造のような伝統産業で培われた技術だったりするんですね。
1870年に理化学工業研究所である舎密局という国策の産業振興の拠点のような機関を京都府が設置して、いまで言うところの産学連携で科学技術の研究・開発を進めていきました。その中で、島津製作所がさまざまな産業を展開していくにつれ、いまの京都のものづくり中小企業が下請けとして育っていったというわけです。
—同様に、伝統産業から発達した京都ブランドは多いのでしょうか。
岡本 日本で伝統産業が一番、集積しているのは京都ですから、伝統産業で培われた技術がいまに生きている企業は、ほかにも数々あります。例えば、1959年創業の京セラは焼きものの技術、陶磁器からファインセラミックスを発明し、現在の電子機器をはじめとする幅広い分野に進出しています。あるいは1944年創業の村田製作所も元々は陶器製造の町工場。そこから京セラとは違うルートで発展し、積層セラミックコンデンサなどを扱う世界トップクラスの電子部品メーカーに。また仏壇仏具の技術から電子部品用の箔粉を作っている福田金属箔粉工業や、染物の製造技術をプリント配線基板に応用したSCREENなど、挙げれば多々あります。
産学連携の風土と先取の気質
—先ほど産学連携という言葉が出てきましたが、京都では早くからそのような機運があったということですか。
岡本 そうだと思います。京都にはいま34の大学があります。規模からすると東京にはかないませんが、知の集積という点ではかなりのものです。理工系では京都大学のほか、より実学に近い国立の京都工芸繊維大学、私学では同志社、立命館、龍谷。そして最近では日本電産の永守(重信)さんが力を入れており、2020年4月に工学部がオープンする京都先端科学大学などです。村田製作所が積層セラミックコンデンサを作ったときも、京大の田中哲郎先生と長く共同で開発されていました。そういう産学連携の風土も、京都ブランドの確立に間違いなく影響しているといえるでしょう。
そして、その延長で少し視点を変えると、実はノーベル賞学者は京大からかなり出ています。これは京大の学風だと思いますが、自分独自のことをする、教えられたことだけを真面目にやるのではなく、「俺がやったろう」みたいなところがけっこうある。そんな人真似をしない、先取の気質が京都にはあると思っています。
先ほどの村田製作所の積層セラミックコンデンサ以外でも、ニチコンはアルミ電解コンデンサを得意としています。同じコンデンサながら、あえてちょっと違うところをやっていこうと。だから日本初の研究開発を成功させたり、オンリーワンとか、グローバルニッチを目指してトップを狙う企業が多い。
その結果、どうなるかというと競合が少なく、利益率も高くなる。電子部品関係といったら大抵そうですね。一時期、「携帯電話の裏ぶたを開けたら、京都の部品ばっかり」と言われました。似たような業界でも、それぞれが少しずつ違うことをやっているのです。
京都に市場はないが、本社がある
—京都の企業がターゲットにしている市場は、主にはどこですか。
岡本 これも実は特徴の一つかもしれませんが、京都にはマーケットがありません。伝統産業は別ですが、電子部品を売るところがない。同時に、日本の老舗の大手企業は、なかなか知らない会社から部品を購入してくれなかった。だから先ほど例を挙げた京都企業のほとんどは、最初はアメリカでモノを売っていました。
アメリカは高品質であれば、きちんと評価してもらえる。実際、日本の企業で最初にシリコンバレーに進出したのはロームです。そういうふうに、アメリカでマーケットを開発して市場評価を得て、それを日本に戻って売っていた。どこも最初はガレージ創業みたいなものですから、ものすごく苦労して、ようやくアメリカで認められ、逆輸入されて現在の確固たる地位を築いたといえるでしょう。
同時に私が面白いなと思うのは、そういう会社も京都に本社を置いたままなんです。これが大阪だと、それほど成功した企業になれば、ほとんどが東京に本社を移します。大企業の本社が京都にあるということは、自治体としてはもちろんありがたいことなのですが。
昔、オーナー企業のトップに「なぜ本社を東京に移さないのですか」と聞いたことがあります。するとその答えが、「何を言うてるんや。京都なら世界のトップが喜んで来てくれる。東京だったらビジネスが終わって用が済めば、とっとと帰るとは言わないまでも、すぐにどこか別の場所に移ってしまう。一方、京都なら偉い方が家族連れで来てくれたり、祇園に行ったり、社寺仏閣を巡ったり、ゆっくり時間をとって滞在してくれる。そうするとじっくり話ができて、貴重な情報も得られる。そういうところがあるんだ」と。さすがに、なるほどとうなずきました。
これは些細なようで、非常に大切なポイントだと思います。伝統・歴史・文化とか、京都ブランドとか、そこに還元される話ですが、結果的にそういう現象が起こる。市場との関係で本社機能の一部を東京に移しても、世界に向けたグローバルな本社は京都でいい。そういうことらしいです。
一体感のあるエコシステムと学び合う風土
—話を伺うと、いろいろな要素が複合的に組み合わさって、京都の産業界としての魅力がこれまで形成されてきたように思いました。現状はいかがですか。
岡本 その結果として生まれたのが、今でいうエコシステムです。京都市内はコンパクトな街です。人口は258万人ほどで、人が集まる場所といえば、大体が四条や河原町、あるいは祇園とか、木屋町とか。
例えばオムロンも、いまは徐々にオーナー経営から変化しつつありますが、現在、立石義雄さんは京都商工会議所の会頭をされています(2020年3月末に退任予定)。また京セラの稲盛和夫さんとか、日本電産の永守重信さんなども、わりと近いところにいらっしゃる。コンパクトな分、そういうカリスマ経営者の背中が見える街なんです。
またそれにも関連していますが、もう一つ、会社同士の仲がいい。今日この取材に出掛ける前に、村田製作所に勤めていた当財団の常務理事が言っていたのですが、「京都の企業は、例えば、総務や人事の職種ごとの連絡会があり、お互いにオープンに情報開示している」と。ご存知ないかもしれませんが、京都の企業同士は風通しがよくて、情報交換が当たり前にできている。人の真似をしないため、市場が完全にバッティングすることがない。だからお互い情報を隠すこともない。それが結局、「京都でスタートアップを応援していこう」となったときにも、話が早いわけです。
—それは大企業だけでなく、中小の企業にも当てはまるのでしょうか。
岡本 大手だけじゃないですね。京都の中小企業のさらに大きな特徴は、教え合い、学び合う風土です。京都の現在の主力産業は電子部品や車載部品などで、中小企業もそれに関連する会社が多い。その中で例を挙げると、機械金属の中小企業の若手経営者が集まる「京都機械金属中小企業青年連絡会(機青連)」という組織があり、京都市の南の伏見地域で工業会を作っている。
京都工業会もありますが、そちらはどちらかといえば大企業。一方、こちらの「機青連」は地方の中小企業たち。そんな組織ができて40年近く経っても、ずっと毎月のように学習会や講演会を企画しています。「あんたの会社の強みは何か。強みに気づけ。気づいたら、それを伸ばせ」といったような勉強会を自分たちでやっているのです。そして地域が育てるとか、仲間内で育てるとか、そういった知識や経験を脈々と蓄積している。それも一種のエコシステムになっているように思います。
老舗の経営哲学と見えてきた課題
—京都にはもう一つ、老舗企業が多い点も大きな特徴です。これはどのような理由だと思いますか。
岡本 去年の1月に出た帝国データバンクの資料では100年以上の長寿経営企業の出現率が京都は4.73%で日本一だそうです。実際、京都府は創業100年以上の企業を表彰する制度を1968年からやっていて、2018年度までに1,944社表彰しています。だいたい年間20社ぐらいずつ増えていて、2,000社に達するのもすぐでしょう。
通常、企業の数は30年で100分の1になるといわれてますから、100年以上続くのは5万社に1社ほど。すると京都の100年企業の数はある種、異常なほどの数値かもしれません。
その背景にあるのが、「事業拡大よりも家業の承継が第一」といった考えなのではないでしょうか。売り上げや利益を伸ばすよりも、継続を優先する。そこには倹約の美学や無借金経営、顧客第一主義や高い倫理観の重視、あるいは社会的な貢献に力を入れるなど、それぞれ独自の経営哲学を根底に持っている会社が多い。
ちなみに京都・龍安寺のつくばいには「吾唯足知(われただたることをしる)」と書かれてあります。つまり「足ることを知る人は不平不満がなく、心豊かな生活を送ることができる」といったような意味です。そういう考え方というか、社訓や家訓を多くの老舗企業が持っていて、それが長く企業を存続させている理由なのでは、と思います。
—そういう点では、京都の会社は他の地域に比べると、概して事業承継もうまくいっているということですね。
岡本 それが残念ながら、最近はそうでもないんです。京都はファミリービジネスが多いですから、親族内承継ができれば理想的でしょうが、お家騒動が起こる場合も多々ある。京都中小企業事業継続・創生支援センターというのをつくりまして、国の補助金なども入れながら、円滑な事業承継を目指してやってはいます。しかし、変化の激しい時代なので、自社の事業に関する考え方に世代間で大きなギャップがあったりと、簡単にはいきません。
結果、京都には現在約11万事業所がありますが、老舗の数は増えているものの、全体の事業所数は困ったことにどんどん減っているのです[図表]。2016年の開業率と廃業率を見てみると、開業率はベンチャーの都とはいいながらも、全国が5%に対して京都府は4.3%と全国平均以下。一方、廃業率は全国が7.6%で、京都は7.4%でほぼ同じ。ということで廃業率が全国並み、開業率が全国よりだいぶ離されているため、全体数は減っていくに決まっていますよね。
人口減少社会で事業所の数もどこも減少傾向にあるとは思いますが、それにしても具合が悪い。それが京都産業の最近の一番の問題点ですね。
ベンチャー第4世代に向けての取り組み
—事業所数減少の課題解決のため、京都産業21ではどんな対策を考えていらっしゃるのでしょうか。
岡本 そこでスタートアップになるわけですね。要するに、まずは「開業率を全国平均並みにしよう」というのが、京都府の喫緊の政策課題です。ところが2018年で見ると東京のスタートアップが8,770社あったとき、京都が230社で、大阪も1,000社に達していません。
島津製作所が切り開いた明治期の第1世代、オムロンや村田製作所、ロームがリードした戦後すぐの第2世代、そして第3世代にあたる日本電産の創業は1973年。ですから日本電産以降、だいぶ年数が経っている。その間、上場企業は出ていますが、そこまで大きくなったベンチャーは生まれていない。そこは危機感を抱いています。
もちろん、解決のためにはいろいろな手を打っていて、当財団もそのお手伝いをしています。例えば、昨年3月に四条烏丸に京都経済センターという施設が新たにできました。これによって京都の商工会議所、経済同友会、工業会、経営者協会など、経済界の主要団体が一つのビルに集結。ほかにも、当財団が管理運営するフロアには、産業支援機関、あるいは中小企業の協同組合組織、団体などにも入所いただき、ワンストップで経営課題等に対応できる体制をとりました。
そして「事業を始めたい」「事業を広めたい」といった新たな一歩のために、施設内に「KOIN」(Kyoto Open Innovation Network)という共創の場を開設。そこに集まってみんなでアイデアを出し合い、横の団体と連携しながらサポートを進められればと思っています。
また当財団の本部がある、京都駅の西部エリアの「京都リサーチパーク」は、産学公の知の連携拠点として1989年にオープン。以来、長年にわたって地域産業の発展・活性化のため、イノベーションの拠点としての役割を担ってきました。さらには本日いらっしゃった『けいはんなオープンイノベーションセンター(KICK)』は、関西を代表する素晴らしい研究機関が集まった「けいはんな学研都市」という地の利を生かし、先端的な研究開発を取り込んだ国際的なイノベーションの場にするために2014年に開設されました。ここも当財団が管理運営を行っています。
—京都産業の未来を見据え、多方面から企業への支援体制が整いつつあることを知りました。最後に今後、京都産業21で特に力を入れていこうと思う分野があれば教えてください。
岡本 日本を代表するまでに成長した京都の元ベンチャー企業などは、自分たちで既にさまざまな対策を考えています。今、私たちがお手伝いすべきは、もっと規模の小さいところ。特に伝統産業などがそうです。先ほどお伝えした、事業所が大きく減っている大きな要因も伝統産業です。京都の西陣織や丹後ちりめんとか、これらは大変有名ですが、従事する方々は農業をしながら織物をやっています。しかし軒並み織屋としての仕事が少なくなり、事業所としても減っています。
京都の街中で訪日観光客が着物をよく着ていますが、あれは概ねポリエステル素材の中国製。織物の生産量を増やすなら、ひょっとすると絹にこだわらず、そんな需要も視野に入れたり、あるいはもっと着やすい着物を開発したりといったことが必要かもしれません。ただ一方で日本の伝統工芸品は、例えば中国の富裕層の感性にものすごく受けたりもする。だからそんな伝統産業の工芸品に対しては、市場に合うものを作ったり、市場を開拓するお手伝いをしています。
そしてもう一つは試作品、プロトタイプ生産です。試作品とは製品化する前に作るもの。量産すれば、例えば村田製作所の部品でも1個何銭といった単位ですが、1点モノの試作だったら買いたたかれず、利幅が大きい。量産品よりも小ロットで多品種を作るほうが京都は得意でして、それを突き詰めていくと試作品、一品生産になるわけです。
そういった試作のビジネスは、中小企業の脱下請け、自立化の取り組みでもあり、25年ほど前から応援しています。これまででもその中の企業がシリコンバレーに進出したところ、最初の受注がディズニーランドから依頼されたミッキーマウスのパーツだった、というような成功談もあるわけです。先人の経験も生かし、京都産業21なり京都府が、海外の販路開拓などいろいろな形で応援させていただいています。
私たちは基本的には京都府の事業実施機関であり、サポート先の業種や相談内容は問いません。現在はその生い立ちから、ものづくり企業が中心ではありますが、創業から事業承継まで成長の全ステージで、あらゆる経営課題の解決をお手伝いするというのがミッションです。まだまだ十分とはいえませんが、これからも京都産業の振興に少しでも貢献できればと思っています。