これからがこれまでを決める
―これまで、多様な経験をされています。
岡田 おっしゃるように、私はとても特異なキャリアを歩んできました。大学では農学部に所属し、遺伝学を専攻していたのですが、思い立って法律を独学し、卒業後は大蔵省(現財務省)主計局に入省。留学してMBAを取得すると、次はコンサルティング会社に入社。その後はIT関連の会社を2社手掛け、一時期、投資ファンドに身を置いたこともあります。友人からは会うたびに「また違うことをしているの?」と呆れられていたのですが、自分ではその都度、正しい進路を選択してきた自負があったので、当初は意に介しませんでした。ところが40代を目前に、どこか満足のいかない状況に少しずつ焦りを感じ始めたのです。
当時は10年近くソフトウエアの会社を経営していたものの、この領域での世界の壁を思い知らされていた時期でした。スピード感と資金・人材の量でどうやっても差がついてしまう。そこで「今後、ソフトウエアだけでは世界に勝てない。ハードウエアと組み合わせたところに勝ち筋があるのではないか」、そう考えるようになっていたのです。
―そこから宇宙ビジネスにシフトした経緯はどのようなものだったのですか。
岡田 そのような時期に、私が高校1年生のときにアメリカでNASAのジュニア向け宇宙飛行士訓練プログラムに参加したことを思い出しました。日本人宇宙飛行士の毛利衛さんにお会いし、「宇宙は君たちの活躍するところ」という手書きのメッセージも頂いたのです。それで、「ひょっとして、目指すべきは宇宙なのでは」という考えが頭をよぎり、宇宙に関する学会に幾つか出席してみました。月面探査や新型ロケットなど、さまざまなトピックについて話し合われていたのですが、その中で最も関心を持ったのが、宇宙ごみ(スペースデブリ)の問題。喫緊の課題であるにもかかわらず、誰も何の解決策を持っていないということを初めて知ったのです。これには大変驚きました。
宇宙業界には工学部や理学部出身の方々が多い。それらの学問は、概して一つのことを突き詰めて研究し法則を見出し、そこからほかの分野にも当てはめられるかどうか、という帰納なアプローチをします。一方、私が大学で学んだ農学は、微生物や昆虫、植物や動物、水と空気など多様な要素が互いに作用し合っていかに調和を保つことができるか、全体を俯瞰して考える学問。ですので、私からすると、宇宙にごみを出し続けていることは、明らかに調和を欠いている状態。しかも、まだ誰もが手をこまねいて見ているだけという現状を目の当たりにして、直感的に「これは大問題になる!」と思いました。それこそ、今までに培ってきた肌感覚からでした。
さらには解決のために必要な手順として、技術や資金面の調達、グローバルなレベルでのビジネスモデルや世界のルールづくりの必要性など、細かな懸案を考え始めると、今までやってきたバラバラの経験、点と点が、自分の中で全て一つの線につながったのです。
例えば、外資系ファームにいたので英語でのコミュニケーションに抵抗はないですし、ビジネスモデルやルールづくりはもちろん慣れています。また、官庁勤めで行政担当者の視点も理解しているはず。これまでのキャリアは、このスペースデブリ問題を解くためにこそあったのではないか、そう思える瞬間に出合ったのです。そこで40歳になる直前で、再びキャリアパスを大きく修正しました。
―その学会で、スペースデブリの除去をビジネスにしようと決めたのですか。
岡田 最終的に決心したのは、2013年4月にドイツのダルムシュタットで開かれた「スペースデブリに関する欧州会議」に参加したときのことです。そこでは、スペースデブリ同士あるいはスペースデブリと衛星の衝突が繰り返され、数十年以内に宇宙が不可逆的に使えなくなってしまうという深刻な内容が話し合われていました。しかし、そこでも誰も解を持っていなかった。改めて無責任だと思ったのと同時に、誰もまだ手をつけていない領域であることに、とてつもない可能性を覚えました。そして私は、スペースデブリ除去サービスを提供する、という明確な目的を見つけたのです。
―ビジネスの目的を得て、まずは何から着手されましたか。
岡田 会議期間中、すぐさま現地の文房具店に行き、アルファベットのブロックを買って文字を並べて、会社名を考えました(笑)。「Astroscale」と並べてみて「これはいい!」とひらめきました。というのも「Astro」はラテン語よりもさらに古い古代ギリシャ語までさかのぼれる言葉。「宇宙」を表すほかの「Space」「Universe」「Cosmos」といった言葉と比べて、歴史が長い。同様にギリシャ語が語源の「Scale」は天秤の意味で、ヨーロッパの絵画で女神の正と邪のバランスを計る持ち物としてよく描かれますし、さらに日本の弁護士バッジの真ん中にも「公正と平等」の象徴としてあしらわれています。私は、環境を保全しつつ開発に臨むのが宇宙のサステナビリティだと思っているので、そのバランスを取るための会社という意味で、「アストロスケール」と名付けました。幸い「astroscale.com」のドメインもまだ空いていることがわかり、その場で即断しました。
突き付けられたNoの連続
―デブリ除去のビジネスを始めると決めたことに関する周囲の反応はどうでしたか。
岡田 その学会中に「宇宙のごみを除去する会社を近々立ち上げるつもりです」と言ったら、本当に多くの方から「No」を頂きました。当時経営していたIT 会社の名刺しか持っていなかったこともあり、異物と思われたのでしょう。「市場がない」「技術が難しい」「民間のスタートアップがやることじゃない」などと言われ、中には「宇宙でミリオネアになりたかったら、ビリオネアから始めよ」と、「大損するよ」というメッセージを、ことわざにしてくれた方もいました(笑)。
でも私はそれを聞いたときに、逆にこれこそ「ビジネスチャンスだ」と思ったのです。市場がなければ作ればいい。課題は明確だし、「なんてわかりやすい世界なんだ」と。つまり、それまで散々グローバルなレッドオーシャンで戦ってきて、多数の競合相手と市場を取り合うことに疲弊していた私には、ブルーオーシャンがとても気持ちよく、魅力的に感じられたというわけです。
―国際会議にいたほかの方々とは全く異なる捉え方だったのですね。
岡田 課題解決までに時間的な余裕があれば、逆に私も戸惑ったと思いますよ。でも、その会議で、複数の宇宙機関がシミュレーションを行い、「もうすぐ宇宙の持続利用は不可能になります」と言っているわけです。私は思わず「えー!」と驚きの声を上げましたが、私以外は静かでしたね。
しかも、今後のプランについては、2013年の4月の時点で、2020年代半ばのことが語られている。私のそれまでの仕事は「3カ月後にデータを提出します」「8週間後に次期バージョンをリリースします」など、全て月か週ベース。十年後のことを語るというのは思考停止状態に近いのでは、と一瞬、思ってしまったほど。「これは自分がやるしかない」と腹をくくりました。
―宇宙業界は専門家が集う、特別な世界というイメージがあります。
岡田 もちろん宇宙課題への対処はかなり難しいものだと想像はできたので、現実には、宇宙業界にいる彼らとIT業界で経験を培ってきた自分との間に、目指すべき時間軸や方法の違いがあるのではないか、とも気づいていました。
これまでの宇宙事業はずっと官からの需要で進めてきたもの。1957年のロシアの衛星スプートニクの打ち上げ以来、60年以上は官需主導でした。民間の台頭が著しくなったのは、本当にこの3年ほどです。技術に関しても、進んでいる部分と未発達の部分に大きな差がある。
しかし、現在は宇宙の市場はどんどん広がっている。今後も打ち上げられる衛星の数が増えるのは明らかな一方、リスクが上がっている分、ROI(Return On Investment)が下がっている。そこで、デブリ問題などのリスクを下げてROIを上げれば、そこに対してお金を払う人が必ず出てくるはず。そう確信して事業をスタートさせました。
たった一人からのスタート
―ビジネスは具体的にはどのように始められたのでしょうか。
岡田 まずはたった一人、資本金2,000万円で会社を設立しました。そして「技術をどうやって解くか」「事業モデルをどうつくるか」「世界のルールをどう変えるか」ということを、自分の時間軸の中でバランスを見ながら考えていきました。必要となるお金とチームは、両方とも一度には揃えられないので、少しずつ成長させながら集めます。何かを作って証明し、資金調達を行う。それをもとにチームづくりと工場建設、開発、その繰り返しです。資金調達はこれまで5回行っています。
―宇宙や人工衛星・ロケットに関する知識はどう身に付けたのですか。
岡田 一から勉強しました。ITビジネスでは、プレゼンして相手と話しながら、プロジェクト費用の概算を暗算できていましたが、宇宙の話になるとまるでつかめない。そもそも「衛星はどう作るのか」から、デブリを除去するには「どの程度のサイズの衛星」で「チームに何人ぐらい必要か」まで、最初は何もわからなかった。その頃はグーグルで検索しても、参考になる結果は出てきませんでした。
なので、学会に出席するともらえる論文集のデータを全部プリントアウトし、テーマ別にファイルに閉じて700本の論文に目を通しました。そのうち300本は精読し、全てを理解しました。そしてデブリ除去の衛星を作る仮説を自分なりに一人で立てる。しかし当然どこかが間違っているので、論文の著者一人ひとりに「あなたの論文を読んでわからない点があるので会ってほしい」とコンタクトをとりました。その際に名乗る会社名も無名のため、最初はどなたも「30分なら」という反応でしたが、皆さん自分の論文が読まれたことを喜んでくれる。そこで自分の仮説を披露して教えを乞うという“ワールドツアー”を1年間で3回敢行しました。
1周目は「こんなこともわからないのか」と呆れられるレベルでしたが、3周目になると大体、概要が見えてきた。そうして150kgの衛星を作れば、これぐらいのデブリを捕まえられて、そのためには30人ほどのスタッフと天井高4.5m 以上の工場が必要か、と具体的にイメージできるようになりました。
そして2014年9月、まずは8億5,000万円の資金調達と15人のチーム形成、工場の建設を目標にすることに。そのための具体的な実践プランを立案し、期限は半年以内としました。結果、2015年2月、予定どおり全てを実現させることに成功したのです。
第三者への情報発信
―その成功の秘訣は何ですか。どのようなことが鍵だったのでしょうか。
岡田 コミュニケーションですね。その重要性をひしひしと感じています。インターナル、エクスターナル、どちらのコミュニケーションも私の仕事であり、今も24時間しゃべっていますよ(笑)。だからこのインタビューも真剣勝負です。
ビジネスを立ち上げた頃は、誰もデブリ問題に取り組んでおらず、私一人だけが50mプールの水を爪楊枝でかき回し始めた、といったイメージ。これをやっていて、いつ大きな渦になるのだろうかと不安に思っていました。
しかし3年ほど前から、その渦に変化を感じ始めました。これまでスペースデブリ問題は、国の政策決定者レベルの方々の関心事にはなっておらず、私が説明しようと世界各国を回っても、面会の予約さえ入れてもらえなかった。それでもコミュニケーションを諦めず、現場レベルの方々に説明していると「知らなかった。そんなに切迫した課題だったのか」という反応を徐々に頂き、情報がクチコミで広まっていきました。現在では各国の政策決定者の方々とも話をさせていただけるようになり、今年6月のG7サミットの共同声明にはスペースデブリ問題が取り上げられました。「ああ、やっとここまで来たか」と感慨深いですね。決して自分たちだけではないですが、何かしら貢献はできているんじゃないかと思います。
―その際のコミュニケーションで気をつけられたことは何ですか。
岡田 必ず相手に合わせて話す内容を変えました。技術者、投資家、経営者、政府担当者、学生・生徒など、それぞれの興味に合わせ、細かく説明します。しかし、より多くの聴衆に伝えるためには、別の誰かにわかりやすい言葉で翻訳してもらったほうがいい。さらには、違う形でインパクトを与えてもらうことも必要だと考えます。
例えば、地球温暖化問題であれば『不都合な真実』というドキュメンタリー映画の中で、氷山が溶け流氷の上で途方に暮れるホッキョクグマの衝撃的なシーンなど、その画像を見た人たちが社会課題をリアルに感じ、自分ごととして受け止められるようなもの。そのようなユニークな視点で共感を生む仕掛けをつくるのは、自分たちだけではどうしても難しい。
肉眼では捉えられないほど、宇宙空間を超高速で飛んでいるデブリを的確に表現し、自分たちが普段どれだけ宇宙に頼っているのかを知ってもらう、そんな一般の方々の理解の助けとなるドラマや映画が、もっと出てきてくれたら本当に嬉しいですね。
―社会への発信はどうされましたか。
岡田 それまで私はシンガポールを拠点に東南アジアでITビジネスを行っていたので、アストロスケールもシンガポールで創業しました。現地のベンチャーや学会・展示会をいろいろ回りましたが、初めは技術も実績もなく、発する言葉も頼りなかったと思います。宇宙に興味がない人も多く、なかなか聞く耳を持ってもらえませんでしたね。さらに社員が1人だとわかると「もっと後で来れば」という反応で、肩身が非常に狭かった。
その後、2014年5月に、「Tech in Asia」というピッチコンテストで最終候補5人のうちの1人に残りました。そこに選ばれるまでに熾烈な競争があったのですが、私のスピーチは会場で大うけしたんですよ。今から振り返ると用いたスライドの出来栄えも今一つで、大した解決策も示していなかったのですが、おかげでシンガポールで英語の記事として世界へ発信されたのです。そしてそれを日刊工業新聞の記者が取り上げてくださり、メディア進出への一歩を果たせました。
また、Tech in Asiaの少し前に、「TEDxTokyo」でのスピーチも決まっていました。TED出場のための準備をして審査ミーティングに行くと「君には3分ある」と言われ「短いな」と思いながらもスピーチをすると面白がってくれて、終了直後に「あと2時間あげよう」と、登壇がその場で決まったのです。後にそのTED での講演は、YouTubeでの動画再生回数の上位にも入りました。これらをきっかけに段々とメディアへの登場が増えました。それが会社を設立して1年の頃、社員はまだ2人でした。
内部コミュニケーションの言語化へのこだわり
―最初からグローバルチームを組織されていますが、運営面で工夫されている点はありますか。
岡田 チームを率いる難しさは特に感じないですね、笑うポイントも一緒ですし。ただ、言語化を徹底したコミュニケーションには努めています。当社は口頭・文書ともにグローバルなコミュニケーションの回数が大変多い。全体会議、部門会議、各部門内など横の会議も定期的に行います。オーバーコミュニケーションではと思うほどですが、それでも伝えきれていないこともあるのです。
エンジニアも含め、総務からファイナンスまで、全部署の担当者が文書を作成するので、その量は膨大です。今の風潮として、スピード重視で簡略化を求める人も少なくないですが、うちは徹底して言語化にこだわります。社内会議でしゃべったことも、全部ドキュメントで残します。一つの会議につきワードで3ページにはなりますね。それを目で確かめられるから、間違いがない。実はそのほうが速いのです。形式や誤字・脱字を気にして完璧なものを目指さずに、まずやってみる。「Done is better than perfect」ですよ。
全世界で同じ情報量のやり取りが行われているので、チームのつながりが固く、誤解が少ない。口頭で伝わった気になるのが一番怖い。一見、ハードかもしれませんが、そのほうが整理されるのでいいと思っています。
―最後に今後のビジョンについてお聞かせください。
岡田 SDGsの期限と同じ2030年までには、宇宙のデブリ除去や寿命延長、点検・観測サービスといった「軌道上サービス」を当たり前のものにしたいですね。例えば、かつて高速道路ができて、車が増え、さまざまな問題が出てきましたが、「では車の運転をやめましょう」とはならなかった。道路交通法が整備され、日本道路交通情報センターができ、故障車が発生すれば、JAF がレッカー移動してくれて、と現在もきちんと回しているわけですよね。
それは宇宙にとっても同じです。人工衛星にとっての高速道路は軌道で、その交通が滞りなく回るようにしたい。我々は宇宙のロードサービス、宇宙版JAFのようなサービスを目指しています。基盤インフラだから、活動しても特別に話題にも上らない。高速道路でJAFがレッカー移動しても、ニュースにならないでしょ。それぐらいの当たり前を目指し、淡々と成長していきたい。
地球上がサステナブルになるには、宇宙もサステナブルになる必要がある。宇宙のサステナビリティについての課題は山積みなのに、実はあと9年しかないのです。その間、サービスの成熟化と量産化を目標に、資金、チーム、施設をグローバルで拡大していかなくてはなりません。やることが多すぎて、てんやわんや。毎日・毎月が本当に忙しいです(笑)。