急発展するマーケットデザイン研究
―小島先生の現在のお仕事についてお聞かせください。
小島 私は東京大学マーケットデザインセンター(以下、UTMD)所長としてミクロ経済学、中でも「マーケットデザイン」を研究しています。マーケットデザインとは「どのように制度をつくれば人々が納得でき、幸せになれるか」を研究する、制度設計の科学です。
UTMD 専属の研究員は数名ながら、国内外30人ほどの研究者がパートタイムで研究に協力してくれています。経済学者が中心ですが、コンピュータサイエンスや応用数学の先生もいます。また学生にも何人か、有給の研究助手という形でこちらに来てもらっています。
―マーケットデザインは新しい研究分野と聞きます。どうして専攻しようと思われたのですか。
小島 半分は偶然でした。私は大学では「マッチング理論」を学んでいました。ヒトとヒト、ヒトとモノをどう組み合わせるかという理論で、「オークション理論」と並ぶ「ゲーム理論」の主要分野の一つです。
ゲーム理論は、複数の主体が互いに影響し合いながら行動を決定していく過程を数学的なモデルを使って分析する、数学系の学問。マーケットデザインはゲーム理論を実地に応用していく研究分野です。ゲーム理論では「一定のルールの下で人がどのように行動するか」を考えますが、マーケットデザインでは、それを前提として「どのようにルールを決めれば、人がより幸せになれるのか」を考えます。
私は大学の経済学部を卒業後、2003年にアメリカのハーバード大学大学院に留学したのですが、そこで私の指導教官だったアルヴィン・ロス先生が偶然にもマーケットデザインの大家だったのです。マーケットデザイン研究の功績により、2012年のノーベル経済学賞を受賞されています。ロス先生は私の留学当時、ニューヨーク市のハイスクールの入学システムの設計に関わっていました。
市立小学校の生徒がハイスクールに進学する際、なかなか本命で希望している学校に進学できない。そこでマッチング理論を応用して、生徒の希望がより高い割合で叶えられるよう制度を再設計したのです。このとき先生や共同研究者たちが考えた仕組みがニューヨーク市で導入され、その後、全米の都市に広がっていきました。
このとき私は先生の下で実際にシステムが構築されていくのを目の当たりにして、「すごく面白いな」と感じたのです。それまで学んだ経済学は、市場を数学的に定義して研究していく抽象的な理論が中心。一方、マーケットデザインは人の行動の法則性をベースとして、実際に使う制度の設計まで踏み込んでいきます。現場の課題を解決するための学問なのです。
その頃まだ日本には馴染みのない学問分野でしたが、当時のアメリカではそうした数学的なアプローチに基づくマーケットデザインの成功例がどんどん出ていました。まさにこれから発展しようとしている学問ということもあり、「これを自分の一生の仕事にしていこう」と思ったのです。
―マーケットデザインが2000年代に入って急に発展してきたのは、なぜでしょうか。
小島 一つには、そういうことができる環境が整ってきたということがあります。ゲーム理論自体は少なくとも1950年代からあったのですが、それを現実に適用していこうとする機運が盛り上がったのは、1990年代半ば頃からです。「あるルールの下で人はどう動くのか」というミクロ経済学の理論が1980~90年代に発展し、「これを実際の制度設計に生かせないか」という動きが出てきました。
また大量のマッチングが必要なときに、決まったルールに従ってコンピュータで処理するということが、1990年代ぐらいから多くの現場で可能になってきたことも関係あるかもしれません。今でいうDXのはしりですね。
注目を浴びるアメリカでのマーケットデザイン
―初期のマーケットデザインの成功例にはどんなものがありますか。
小島 ロス先生を中心とするチームは1990年代に、研修医を全米の病院へ配属するためのマッチングアルゴリズムを改革したり、2000年代には腎臓移植の支援ネットワークを創設したりしています。
アメリカの研修医配属システムは、「全国医学実習生マッチングプログラム(NRMP)」といい、1950年代からあったものですが、当時は例えば「医学生同士の既婚カップルをどう配属するか」といった問題が起きていました。先生はこの問題をはじめ、現行制度の良い点や問題点を分析した論文を多数書いていました。するとマッチングプログラムの主催者からコンタクトがあり、実際のシステムに先生の理論が取り入れられることになったのです。この配属システムは日本の研修医制度にも導入されています。
また臓器移植では不適合の問題があるので、ある腎不全の患者に対して自分の腎臓を提供してもいいというドナーがいても、希望どおり移植できるとは限りません。そうした患者とドナーの組み合わせが複数あった場合、別の患者であればそのドナーの臓器が適合するというケースが出てきます。ロス先生はそうしたケースを素早く発見するために、マッチングに必要なドナーと患者のデータを集めて検索できる臓器移植ネットワークを、医師と共同で創り上げたのです。
これが「ニューイングランド腎臓提供プログラム」で、その結果、それまで実績がほとんどなかった親しい人同士以外での腎臓移植が、年間1,000件ほど行われるようになりました。
規模が大きいという点では、米連邦通信委員会(FCC)による「周波数オークション」がよく知られています。携帯電話用電波の周波数ごとのライセンスをどの通信企業に与えるか、オークション形式で決定するもので、1994年から始まりました。2016年から17年にかけての周波数オークションでは、2兆円以上の収入が国庫にもたらされ、メディアでも大きな話題となりました。
周波数オークション制度を考案したのはスタンフォード大学のロバート・ウィルソン教授とポール・ミルグロム教授で、私のスタンフォード時代の同僚です。両先生はオークション理論研究の功績で2020年にノーベル経済学賞を受賞しています。
オークション理論とは、マーケットの一形態である「1人の売り手と複数の買い手による取引」を数式化したものです。
私はウィルソン先生とミルグロム先生の両方から先輩教員としてたくさんの薫陶を受けており、ミルグロム先生は私がスタンフォード大学に就職したときの面接官でもありました。その後、ミルグロム先生とは共著で論文も書いています。
日米研究者の就活事情
―小島先生は大学院卒業後、そのままアメリカで就職されました。日本では「文系で大学院に行っても、就職先があるのか」という印象ですが、アメリカではどうでしょうか。
小島 5年間ハーバード大学大学院で研究し、その後に教員としてスタンフォード大学に就職することになりました。日本に戻る選択肢もありましたが、マーケットデザインの分野では当時、アメリカのほうが圧倒的に研究環境がよかったのです。私は研究をバリバリやりたくて、「やはりアメリカで研究を続けよう」と考えました。
日本ではたとえどんなに優秀な人でも、大学院を卒業するとき、「この年は大学に空きポジションがない」ということがあると聞いています。そうなると研究を続けられません。アメリカは大学の数も多く、研究者のマーケットも大きいので、研究者の就職先が皆無などはよほどのことがない限りありません。
とはいえ就職活動は大変でした。魅力的なポジションが多い分、学生も多くて競争が激しいし、言葉のディスアドバンテージもありましたから。ただ、経済学はアメリカでは人気のある学問なので、教える側の需要も大きいし、ハーバードやスタンフォードの大学院の卒業生であれば、選り好みしなければどこかしら就職できます。仮に研究職に恵まれなかったり、研究職以外に就職したくなった場合でも、民間のコンサルティング会社や金融機関、例えばボストン コンサルティングやゴールドマン・サックスなどのほか、世界銀行や国際通貨基金(IMF)のような公共機関にも就職口は多くありました。
アメリカでも日本と同様、大学院を出て最初に就職するときは有期雇用契約です。
経済学の場合は大学院を出てすぐにアシスタント・プロフェッサーになれることが多いのですが、その場合も5年から7年程度の有期雇用で、その後にテニュア(終身在職権)審査を受けます。テニュアは終身でその大学の教員としての身分が保障される資格で、取れればその大学に残れますが、有期雇用契約期間中の実績が不十分と見なされれば与えられず、そのときはクビになります。
そういう事情なので、テニュア審査に受かるまでは多くの研究者が大変で苦しそうです。ただし自分が勤めていた大学のテニュア審査に落ちても、在職中にそれなりの実績があれば、ほかの大学でテニュアを取って移ることができます。
一方、日本の大学の有期雇用では、切られた途端にまったく仕事がなくなり、それまでやってきた研究が無意味になってしまうとも聞きます。アメリカの場合、一つの大学では雇用の保障はないけれども、マーケット全体としてセーフティネットが働いているという印象です。もっともこれは経済学の話で、アメリカでも人文系の一部では日本と同じように「今年は空きポジションがないので、就職活動はやめよう」ということもあるようです。
―苦労してテニュアを得たスタンフォード大学を辞めて日本に戻られたのは、なぜですか。
小島 かなり悩みましたが、一番大きな要因は妻の仕事の関係でした。うちは妻も学者で、共働き家庭なのですが、子どもが2人いるので、夫婦で別居になってしまうと子育てが難しいんです。今回は「夫婦一緒でないと来てくれないだろう」と、大学側が妻にも同じ学部内でポジションを用意して、タイミングを合わせて帰国できるよう計らってくれました。私が日本で自由に研究活動ができるように、マーケットデザインセンターを創設した上で、初代の所長として迎え入れていただいたのですが、マーケットデザインは私の研究分野なので、それに合わせてもらった形です。身に余るほど親身になって招聘してくださったと感謝しています。
それまで「日本の大学は殿様商売感覚で『いやなら来てくれなくていい』という態度だ」と聞いていたのですが、違いました。
大学側も「このままでは優秀な人材が集まらなくなる」という危機感を持ち、「海外にいる研究者が喜んで来てくれるようにするにはどうすればいいか」と真剣に考えてくれています。これは私に対してだけではなく、ほかにもそうした形で呼ばれた人がいます。
アメリカには17年住みましたが、日本で育ちましたから、やはり愛着があります。親もこちらにいますしね。私自身の研究でも、ここ何年かで成果が認められたものには、日本の社会問題をテーマにした論文が多いんです。「自分が書いた論文が実社会で使ってもらえるのであれば、日本でそれができたらうれしい」という気持ちがあります。
―日本はマーケットデザイン分野で遅れているという話でした。研究面で心配はありませんでしたか。
小島 来る前は心配していました。「日本ではEBPM(Evidencebased Policy Making:エビデンスに基づく政策立案)も 進んでいないなど、いろいろな面で遅れていて、新しいことをやろうとしない」というイメージがありましたから。また「日本の大学は予算が厳しい」「給料が安い」という噂も聞いていました。日本とアメリカでは、経済学者の年俸に数倍の差があるのです。
ただ実際に来てみたら、意外に引きが強いといいますか、「マーケットデザインの研究に関しても、思っていたより需要があるな」と感じました。アメリカの場合、マーケットデザインの実践的な研究をやっている研究者の層が厚いのですが、日本ではこれまで研究者があまり一般社会にプッシュしてこなかったのではないかと思います。今後は変わっていくのではないでしょうか。
アメリカの場合も、研究が始まった当初はマーケットデザインのアイデアを実際の制度に落とし込むのに苦労したと聞い
ています。かつてのアメリカも、今の日本と同じような状況だったのでしょう。
理系の場合、研究にも資金が必要なので、それが理由で海外に留まることがあると思いますが、経済学の場合は、大規模な実験をする一部の分野以外ではそれはありません。ただ同業で、研究の話ができる優秀な人がいることはとても大事です。でなければ刺激を受けられませんから。今のところ、そういう点では幸せですね。現在のような招聘活動が続けば、今後も優秀な人が集まってくれるのではないかと期待しています。
制限の多い日本の大学教員
―日本では大学教員の方が研究や講義だけでなく、事務などのマルチタスクを強いられて苦労しているとも聞きます。
小島 「日本の大学の教員は事務仕事が多くて大変」という話はよく聞きますね。私の場合は、あまり事務仕事をやらなくていいように、ほかの先生方が気を遣ってくださいますし、センターで事務の人を雇用いただいているので助かっています。しかし、それでもまったくゼロかと言われれば、ある程度はあります。例えば教員会議での情報共有や、備品購入の際の事務手続きなどです。
アメリカだと学部で雇用しているセクレタリーがいて、全教員をアシストしてくれるのですが、日本の大学では普通は研究費を取らないと、事務の人も付きません。これには問題が多く、アメリカ型のほうがいいと思います。でも日本の事務担当の方は皆さん、優秀ですよ。
教員の役割分担については、アメリカのほうがうまいのではないでしょうか。例えばアメリカの場合、教員には研究要員とはまた別に、ティーチングポジションもあります。主に学生への講習を行う人です。日本でも非常勤で授業を担当してもらったりしていると思いますが、アメリカの資金が潤沢な大学、例えばハーバードやスタンフォードでは、かなり手厚い条件でティーチングポジションに優秀な教員を集め、多くの授業を担当してもらっています。その分、研究者は自分の研究に集中することができるのです。
入試業務も日本では大学の先生がいろいろな作業を担当していますが、アメリカでは少なくとも学部入試については教員ではなく、専属のスタッフが担当しています。
―なぜアメリカの大学ではそうした分担が可能なのでしょう。スタッフの人数が多いからでしょうか。それとも大学教授の社会的な位置づけが日米で違うのでしょうか。
小島 ハーバードやスタンフォードでは教員一人あたりの学生数は日本の大学に比べて少ないと思います。ただレクチャーを担当する人は大勢の学生を教えていますし、ステートユニバーシティ(州立大学)では教員一人あたりの学生数も多くなります。東大とスタンフォードを比べると、東大のほうが学生数は多い印象です。
大学教授の位置づけは、どうでしょうか。日本では学生からの信頼が薄いという感じはありますが(笑)、アメリカでも日本でも、「大学でやっているような研究は実社会では役に立たない」という感覚を持たれているかもしれません。
その他の日米の違いとしては、日本では教員が大学外の仕事をすることについて制限が厳しいという印象です。国立大の場合、外部の人と共同研究をするにも大学にお伺いを立てて、OKをもらわなくてはなりません。
学外でのコンサルティング活動も以前は同じ扱いでしたが、2020年に「東京大学エコノミックコンサルティング株式会社」という組織ができて、経済学部の教員が民間企業にアドバイスをする場合はそこを通して行い、報酬が得られるようになりました。また全学的にも“ 学術指導”というふうにして教員個人がアドバイスをする仕組みもできたようです。
アメリカでは教員の学外活動は比較的自由です。スタンフォードでも副業する場合は一応は報告しないといけませんが、時間にして20%までは特に承認も必要なくOKで、「いいよ、いいよ」という感じです。
―アメリカでは、大学と民間企業との人の交流も盛んなのですか。
小島 そうでもありません。スタンフォードには、実務家出身の教員はほとんどいませんでした。
日本の場合、企業や官庁で長く働いた方が名目だけの教授となり、研究はせずにポジションだけ置いているというケースがあると聞いています。ただその人たちはほかの教員とはあまり交流がないように感じます。
アメリカでは教員へのディシプリンは明確で、「大学にいる人は学者としてやっていくもの」という考えがあります。ただ経済学の場合、教員がアドバイザーとして連邦準備銀行などに出向して、2~3年後に戻ってくるといったことはありますし、サバティカル(研究休暇)として、1年間大学を離れて民間企業、例えばGoogleやFacebookに行って研究するということも可能です。
それとアメリカでは大学卒業後、大学院に進学するまでの間、就職して働くことはよくあります。ミルグロム先生も、スタンフォード大学のビジネススクールに来る前には保険業界で保険の数理的設計を行う「アクチュアリー」として働いていたそうで、大学でも研究の傍ら、民間企業のコンサルティングも行っていました。
アメリカはそういう実質的な面でのビジネスと研究の世界の交流は盛んだと思います。
―アメリカでは、大学と民間企業との人の交流も盛んなのですか。
小島 そうでもありません。スタンフォードには、実務家出身の教員はほとんどいませんでした。
日本の場合、企業や官庁で長く働いた方が名目だけの教授となり、研究はせずにポジションだけ置いているというケースがあると聞いています。ただその人たちはほかの教員とはあまり交流がないように感じます。
アメリカでは教員へのディシプリンは明確で、「大学にいる人は学者としてやっていくもの」という考えがあります。ただ経済学の場合、教員がアドバイザーとして連邦準備銀行などに出向して、2~3年後に戻ってくるといったことはありますし、サバティカル(研究休暇)として、1年間大学を離れて民間企業、例えばGoogleやFacebookに行って研究するということも可能です。
これには監査法人も喜んでくれました。彼らに対しては「徹底的に監査してほしい」「問題点は貯めないでその都度出してほしい」と言っています。数年間貯めて何十億になると経営者はクビになってしまいます。監査もより的確になり、みんなが得をしたわけです。
マーケットデザインで日本社会を変える
―UTMDが設立されてまだ1年にもなりませんが、計画中の社会実装などはありますか。
小島 例えば企業内の人事異動について民間企業と共同研究しています。昔ながらの日本企業の人事では、ある日突然「あなたは3日後に北海道の離島に転勤です」といった形で異動させられていたわけです。しかし今の時代はそういう形で単身赴任させると、家庭内で揉めたりするため、「しっかり従業員の希望も聞いた上でマッチングさせたい」という要望が企業側にもあります。
マーケットデザインではそういったケースで使える仕組みが知られているので、それを適用して、まず新卒採用者と社内の部署のマッチングのシステムを提供しました。各部署、各社員それぞれに「こんな人材がほしい」「こういう部署で働きたい」という希望を出してもらい、それをアルゴリズムで処理して、双方の不満がなるべく少なくなるようにマッチングしていくものです。
幸い今のところは好評で、今後は適用範囲をより拡大し、最終的には日本の人事異動のシステムを全面的に変えていきたいと考えています。
日本の研修医配属制度についても提案を行っています。これはカリフォルニア大学バークレー校の鎌田雄一郎准教授と共に研究してきたもので、地方の医師不足問題を改善することを目指しています。
かつての研修医派遣は、若手医師が所属している大学の教授が一方的に指示する形でした。そこには医師個人の希望がまったく反映されず、強い不満がありました。その後「医師臨床研修マッチング協議会」がつくられ、2003年からマッチングアルゴリズムを用いた配属システムが使われるようになります。ところが医師個人の希望が反映されるようになると、今度は都市部の病院に医師が集中し、「地方に医師が来ない」という問題が起きているのではないかとの指摘があったのです。
このため2009年からは都道府県別に定員を導入、定員が充足されるようアルゴリズムが修正されました。しかしこの定員は、各病院の研修医受け入れ可能数に対して定率で削減したものであるため、地方にあって今まで研修先として人気の高かった病院でも受け入れ数が減ってしまい、かえって地方の医師不足を助長する恐れがあります。
我々は現行アルゴリズムのそうした問題点を指摘し、病院ごとの研修先としての人気度を考慮し、より多くの研修医を地方に送ることが期待できる新たなアルゴリズムを医学界に向けて提案しているところです。
さらに鎌田准教授とは保育園の待機児童を減らす研究も行っています。
認可保育園では、1人の保育士が見ることができる子どもの数が年齢別に決められています。例えば3歳児であれば1人で20人まで見ることができますが、1~2歳児は1人で6人まで、0歳児は3人までしか見ることができません。自治体ではあらかじめ保育園ごとに、「0歳児は何人」「1歳児は何人」と年齢別の定員を設定し、大勢の職員が何日もかけ、提出された調査票を見ながら手作業で入園希望者の割り振りをしています。
ただこの方式だと、せっかくの保育士の手が余ってしまう場合が出てきます。もし年齢別の定員を柔軟に運用できれば、待機児童の数を減らせ、保育士が余るようなこともなくなるはず。しかし手作業でそこまできめ細かな運用を行うのは困難です。
私たちはそうした運用を実現するアルゴリズムをつくり、発表しました。これを使って入園希望者の割り振りを行えば、待機児童の数を減らすだけでなく、第1希望の保育園に入園できる子どもの数も増やせることがわかっています。また現在は何人もが数日から数週間かけて行っている作業を、コンピュータを使って数秒で終えるようになります。各自治体にはぜひ導入の検討をお願いしたいと思っています。
新型コロナ問題では、「コロナ禍で不足する集中治療室や呼吸器を誰に使うべきか」という、公平な医療資源配分のためのアルゴリズムが、当センターの研究員、マサチューセッツ工科大学のパラグ・パサック教授から提案されています。
こうした研究は新型コロナワクチンの接種にも応用可能です。今の日本では自治体ごとの接種、大規模会場での接種、職場での接種と分かれて予約を受け付けていますが、なるべく統合したほうが効率がよくなることが判明しています。
―UTMDの今後のビジョンについてお聞かせください。
小島 まだ模索中ですが、理論研究と社会実装の両方を進めていきたいと思っています。
アメリカでのマーケットデザインの成功事例の幾つかは、日本でも応用できるでしょう。例えばフードバンクのシステム。これは全米各地にあって、貧しい人たちに食事を無料で提供するボランティア活動で、日本政府も国内で同様の活動を育てようとしています。
しかし、活動に賛同した企業や個人が食べ物を直接に寄付する既存のシステムでは、フードバンクそれぞれのニーズを組み込めておらず、食料が余ったり不足したりして、なかなか最適な形で分配されないという問題がありました。そのマッチングを改善するために2005年、「フィーディング・アメリカ(Feeding America)」という全米で最大のフードバンクで、新しい仕組みが考案されています。
廃棄予定の余剰食料を抱える全米の食品事業者と、米国内に数千あるフードバンクや食事提供プログラムとを結び付けるマッチングプラットフォームで、「ミールコネクト(MealConnect)」という無料アプリで提供されています。ファストフードチェーンやスーパーなどが廃棄予定の余剰食料をこのアプリに掲載すると、アルゴリズムが最適なフードバンクや食料配給プログラムを選定、マッチングされるのです。寄付
した側は自分たちが寄付した食料がどこに向かっているのか、どこで使われたのか、リアルタイムで追跡することも可能です。
その仕組みはユニークで、各地のフードバンク支部にそれぞれトークン(代用貨幣)を与え、疑似的にオークションを行います。提供された食べ物について、それぞれの支部が「いくらだったら買います」と申告して、より高い価格を付けた支部に「では、あなたに売ります」と優先して送るようにします。このトークンはそこでしか使えない疑似貨幣です。本物のお金を使ったら、市場そのものになってしまいますから。マーケットの仕組みを使って配分を最適化するわけですね。
ミールコネクトのリアルタイム・マッチングモデルは、突発的な食料援助要請にも対応できるように開発されています。今のところ具体的に使われた事例は聞いていませんが、おそらく災害支援にも応用できるはず。こうしたアルゴリズムは「通勤時間帯に大地震が発生した場合、誰をどこに避難させればいいか」といった避難計画や避難経路の立案にも役立つのではないかと考えています。
またUTMDは大学内の組織ですから、社会課題の解決だけでなく、学生の教育もやっていきます。私も経済学部の教員として、研究だけでなく教壇に立って学生を教え、ゼミも持っています。若い人たちができるだけ集中して研究できる仕組みを考えていきたいですね。
日本のニュースを見ていると、「研究者は大変」と思ってしまいがちですが、いろいろ問題はあっても研究生活は楽しいし、研究助手になると給料ももらえます。興味を持った人はあまり心配せずに、ぜひ大学院を目指してほしい。大学院で学んだからといって全員が研究者になる必要はありません。さまざまな場所に出ていって、大学院での研究を社会実装につなげてくれればと願っています。
同時に日本社会には、若い研究者が道半ばで研究を諦めないよう、応援してほしいと思います。