「筑波大学体育スポーツ局」誕生の経緯
―筑波大学のスポーツ関連部局について教えてください。
米原 2017年度に筑波大など8大学がスポーツ庁の「大学横断的かつ競技横断的統括組織(日本版NCAA)創設事業」に採択され、翌2018年に「筑波大学アスレチックデパートメント(以下、筑波大AD)」が設立されました。そこで専任の職員を雇うことになり、「スポーツアドミニストレーター」というポジションが誕生したのです。
その後、今年の4月1日に大学の体育の授業や学内体育施設の管理をしていた「体育センター」などと統合され、「体育スポーツ局」を設置しました。体育スポーツ局は学長直轄で筑波大学の体育スポーツを一元的に統括する組織です。
―筑波大ADではどんな業務を行っていたのですか。
米原 筑波大ADは「最高の学校スポーツプログラムを創り、日本社会の未来に貢献する。」というビジョンを掲げていました。学校スポーツの制度設計、またスポーツを通じて人とコミュニティを育て、スポーツを軸としたエコシステムをつくることでスポーツの価値を最大化する、さらにこのデザインを共有して地域、日本全体に貢献していく、といったことです。
現在は、スポーツアドミニストレーションの職員として体育スポーツ局に所属。筑波大ADが担ってきた業務を継承して、具体的には学生アスリートの支援や大学スポーツを通じた行政や企業との連携、地域振興、社会貢献事業や主催ホームゲーム等の企画運営、また広報などを担当しています。
―スポーツ部門の筑波大ならではの特色などはありますか。
米原 多くの大学は競技のサポートについての基準を、メディアへの露出(広報)に置いてきました。「箱根駅伝があるから、陸上の駅伝チームを強くして大学の知名度を上げよう」というロジックです。スポーツ振興を担当する部署も、大学の広報を第一義に置き、部活動強化のための支援活動や、スポーツ推薦枠の配分といった活動をする場合が多いです。
一方、筑波大の場合は「筑波大学にいるトップアスリート、学生アスリートの育成や支援だけでなく、全ての学生がスポーツに親しみ、スポーツを楽しむ環境を創り出すことで、本学が目指す人材育成を高度に実現しようというスタンスです。筑波大ADのミッションには、「学校スポーツの健全化」「学校スポーツの価値の最大化」「筑波大学で行われた事例の国内への横展開」の3つがあり、僕もほかの職員の皆さんと協力しながら、それらを進めてきました。
筑波大ADの活動内容
―「学校スポーツの健全化」とは、どういう意味でしょうか。
米原 学校スポーツにおける社会的課題の解決です。学校スポーツは中学高校、小学校でも行われていますが、それを主に担っているのは先生方です。しかし負担が重く、また部活動の中で体罰やハラスメントといった問題も起きています。
筑波大は前身が東京教育大学で、今も多くの教員を輩出しており、「学校スポーツのあるべき姿をモデルとして確立し、全国の学校に伝えていく立場にあるのでは」と考えました。
―つまり、日本の学校スポーツの改革ですね。
米原 日本の学校スポーツのもう一つの課題が、中高大学とも課外活動の扱いで、「学生が自主的に活動している」という前提に縛られていることです。日本では大学の運動部の活動や会計などのマネジメントも、学生が1年交代で行っているような場合が多い。結果どうしても、素人による管理で、長期的に戦略を立てて組織や業務を改善していくことができないといった問題が起きています。
―それを改めようにも、そもそも大学は学生スポーツに関わる立場になかった。
米原 はい。そうした現状を覆すために、まずは学校が部活動に関与する仕組みづくりから始めました。なぜスポーツチームに大学がリソースを出して関わるのか、その必要性はどこにあるのか、基本に戻って問い直し、どのようなモデルがふさわしいか検討しようということで、5年間やってきました。
基本的には大学がマネジメント業務を担うことで、学生がスポーツに専念できる環境を整えていくことを目指します。また、これまで学生に委ねられていた業務は、専門職員が主体的に担うことにより、アップグレードしていきました。
筑波大ADという組織も、規模こそ違いますが、アメリカの大学スポーツを参考にして創設されたものです。アメリカの各大学には管轄するチームに関わるすべてを一元的にマネジメントする部局としてADが置かれ、コーチやトレーナーなどのスタッフはADに所属しており、その数は数百名にも達します。
筑波大学には71の運動部がありますが、筑波大ADのスタッフは数名しかいません。すべての部活動をマネジメントすることは不可能なので、「まずはモデルをつくろう」ということで、各部の指導者の意思を確認し、硬式野球部、男女のバレーボール部、男女のハンドボール部という、5つの部活動に限定してスタートしました。
―そこではどのようなマネジメントを?
米原 まずはチームが主となる事業や学外組織(行政や企業、競技連盟など)との連携による事業やイベント出演に関する企画運営、また会計に関するマネジメント業務を担いました。さらに、学生のスポーツを通じた成長を促すためのプログラムとして、筑波大博士課程出身のコーチによる「ストレングス&コンディショニングコーチ養成プログラム」、筑波大学アスリートメンタルサポートルームの協力による「マインドフルネス トレーニングプログラム」、筑波大学附属病院と連携して医学面からアスリートをサポートする「アスリートドックプログラム」や栄養サポートプログラム。さらに人材教育コンサルティング会社「アチーブメント株式会社」と共に、チームを率いるリーダーのための研修「フューチャー・クリエーション・リーダーシップ・プログラム」、つくば市の総合人材サービス会社「株式会社セキショウキャリアプラス」による、大学3年生を対象とするアスリート向けのキャリア支援プログラム「スチューデント・アスリート キャリアフェア」などを企画し、スタートさせました。
そのほかにもトレーナーを部ではなく大学として雇用したり、海外からコーチを呼んでセミナーを開いたり、オンライントレーニングプログラム「筑トレ」を配信したりといった活動もやっています。
―どれも外部との連携が必要で、運動部単独だと難しいものばかりですね。
米原 地域でのスポーツ教室開催なども、これまでは各部がそれぞれ外部の団体とつながって行っていました。サポート開始後は私たちが地域や外部組織との調整を担い、複数の競技をとりまとめてスポーツ教室を行ったり、地域貢献の一環としてサポートしている5チームにつくば市のお祭り「まつりつくば」に参加してもらい、ねぶたを曳いたりもしました。
また筑波大ADの活動の一つの軸となったのが、ホームゲームの開催でした。
―地元で行う試合を、大学が主催するということですか。
米原 そうです。アメリカの大学スポーツでは、試合の主催権が大学にあるため、チケット収入はすべて大学の収益になり、試合の放映権などの収入も莫大な額に上ります。一方の日本では、試合の主催権だけでなく、放送権やマーケティング権も各競技団体や協会などが持っています。学校が試合を主催することは基本的になく、箱根駅伝のような人気の大会でも、予選会には各大学が参加料を払って参加する立場です。そこに大学が入って試合を主催することで、新たな価値創造ができるのではないかと考えました。
―日本では大学スポーツにお金が集まる仕組みがないわけですね。筑波大ADのミッションの一つ「学校スポーツの価値の最大化」とは、アメリカの学生スポーツに倣いお金が集まる仕組みをつくるという意味でしょうか。
米原 「価値の最大化」というと、「スポーツを利権化してお金儲けをする」という視点で捉えられがちです。しかし筑波大では「スポーツでコミュニティに貢献していく」という理念に則って、スポーツを通じて愛校心や一体感を醸成することでコミュニティのウェルビーイング(WB)を高める、学校スポーツを学内・地域社会にとってなくてはならない存在に高めることが、価値の最大化であると考えています。
ただホームゲームについては、やはり「お客さんあってこそ」という面があり、アリーナなど人を集める「場」をつくれる競技が中心となってきます。最初は、硬式野球部やバスケットボール部のつくば市近郊で開催されたリーグ戦をホームゲームと位置づけて応援企画を開催。ゲームを盛り上げるために、学内の芸術専門学群生の協力で広報を兼ねたうちわを2,000枚作って配ったりしました。2022年度からは「大学主催ホームゲーム」を始め、夏に水球の試合を学内の屋外プールで開催し、11月にはバレーボールのホームゲーム、今年3月にはバスケットボールの男女の試合を主催しました。
バスケの試合はつくば駅前の「つくばカピオ」という収容人数1,000人ぐらいの会場で行い、そこで選手のフリースローのフォーム(映像)と自分のフォームを比較し、そっくり度を得点化するというブースも企画をしました。自分がブースで見ていた選手が、試合になったら出てくるわけで、参加者は大喜びです。これは新鮮な試みだったと思います。
学生アスリートのウェルビーイングが向上
―そうしたサポート活動を通じて、選手たちにはどんな変化がありましたか。
米原 筑波大ADでは、活動のKP(I 重要業績評価指標)を学生アスリートたちのWB、言い換えると「充実感」に設定。2018年の活動当初から、モデルとなった5チーム、年間約300人の学生アスリートを対象に「Purpose WB」(目的や将来に対する充実感)、「Social WB」(社会とのつながりに対する充実感)、「Financial WB」(お金に対する充実感)、「Community WB」(地域とのつながりに対する充実感)、「Physical WB」(身体的な充実感)の5項目を計測してきました。
その結果、大学がマネジメントに関与し、各種のプログラムを提供することで、モデルチームの学生アスリートたちのWBの平均値や満足度が大きく上がることが確認できています。
―お金を目的とするのではなく、人を育てるためのモデルづくりの結果が出たわけです。
米原 コンテンツごとに検証すると、例えば大学側でリーグ戦などの試合のライブ動画を配信。学生たちの活動を多くの人に見てもらえるようにしたところ、それがコロナ禍でのアスリートたちの「Social WB」を高めることにつながりました。 地域の中学高校と連携して、地元の中学高校の部活動の支援に学生アスリートを派遣するという活動も行ったのですが、こうした形で地域に貢献することは、学生たちにとっても「Community WB」の高まる体験であるとわかりました。
そして地域貢献活動の後につくばでホームゲームを開催すると、今度は支援活動で接点のあった中高校生たちが応援に来てくれ、これもWB向上につながります。こうした検証によって、大学サイドが学生スポーツをサポートし、また学生アスリートを巻き込むコンテンツを提供することは、学生自身にとってもプラスの効果が大きいとわかってきました。
この5年で成功モデルができたことで、今はそれを広げていくステージに入ろうとしています。去年はその移行期間で、今年度からその対象となるチームを広げていきます。
コロナ禍で問い直されたスポーツの存在意義
―米原さんご自身はどのような経緯で筑波大ADに加わることになったのですか。
米原 僕は元々、筑波大の体育専門学校群でコーチングの勉強をしながら、陸上部に所属し棒高跳びをやっていたのです。
その後、体育学専攻の学生として筑波大大学院に進学。在学中にアメリカのライス大学にコーチングの勉強に行き、選手として活動しつつ陸上競技部のアシスタントコーチを務め、日本に戻ってきました。大学院修了の2020年に筑波大ADに加わることになりました。
―2020年はコロナ禍の最中で、大会などはほとんど中止になってしまいましたね。
米原 おっしゃるとおり、僕が参加したときは、まず在宅勤務からでした。スポーツ事業をやりたくて入ったのに、練習もなければ試合もない。「これじゃやることがない」と思いましたね。ですから最初は「どうやったらスポーツを再開することができるのか」という話し合いから始まりました。
―「スポーツは不要不急」という扱いをされたことで、改めて、「スポーツの役割とはなんだろう」とお考えになったのではありませんか。
米原 スポーツの役割として、それを「する側」と「見る側」の視点があると思います。「するスポーツ」という視点からいうと、「新型コロナでスポーツを行う場がなくなってしまう」ことは大問題でした。アスリートにとってはフィールドが自己表現の場なので、そのための場所がないというのは大きな葛藤で、そういう姿を見て、「筑波大にはスポーツが自己実現になっている学生が、たくさんいたんだな」と改めて実感しました。
―「見るスポーツ」については、いかがですか。
米原 僕はスポーツの大切な要素は「交流と興奮」とよく言っていますが、スポーツをする人、見る人、支える人、それぞれに交流と興奮が生まれるのが、面白いところだと思っています。
スポーツは基本的に対戦相手が存在するので、各個人が敵味方どちらのサイドに軸足を置くかが明白です。一つの試合に対して、自分が応援するチームに勝ってほしいという同じ願望を持つ人たちが集まって応援し交流が生まれ、、それが実現したときに盛り上がり、興奮が生まれる。これはほかのコンテンツでは、なかなか置き変えられないのではないでしょうか。
―コロナ禍の期間中に、eスポーツのプログラムも手がけられていましたね。
米原 「身体接触はなくてもスポーツ性を共有することで、何が起こるのか」という視点から、筑波大ADと筑波大学スポーツイノベーション開発研究センター(SIRC)が共同で、「筑波大学eスポーツプロジェクト」を実施しました。以前に『アド・スタディーズ』でも紹介いただいた松井崇先生がSIRCの担当で、アスレチックデパートメント側の担当が僕でした。
2020年、21年には、日本初の大学主催のeスポーツ大会として「筑波大学eFootball大会」を開催。2022年には審査で選出したプレーヤーで筑波大学eスポーツチーム「OWLS」を結成。2023年1月に早稲田、慶応、明治の計4チームが参戦するeスポーツ大会「OWL GAME」を行い、試合の模様をライブ配信しました。
その経験から、身体性を抜かせばeスポーツにも一般のスポーツと同様の競技性があり、チームワークで一体感を得たり、達成を分かち合うといったことは十分、可能だと感じました。
ただ、いわゆるスポーツを行ってきたアスリート個人にとっては、十数年間積み重ねてきた活動は、コントローラーには置き換えられないものだろうと思います。
―コロナ禍の中、世の中の人のスポーツへの関心が薄れていくのでは、という危機感はなかったですか。
米原 それはありませんでしたね。タイミング的にも東京オリンピックが控えており、みんな「どうやってオリンピック、パラリンピックをやろうか」と、開催を前提に動いていました。日本中のスポーツ関係者がそうだったと思います。
無観客試合も、あれはあれで良かったというか、あの時期にできる最善のことをしたと思います。アメリカにはコロナ禍に入る前にライブストリーミングの文化がすでにできていたし、先行きについて悲観的なスポーツ関係者はそう多くはなかったと感じています。
多様化してきた日本のスポーツ
米原 その一方でコロナ禍では、時間と体力の効率化が進んだと思います。
学校スポーツを例に、部活動に焦点を当てると、めちゃくちゃに練習しているケースが多くありますが、そこには「練習量とパフォーマンスは比例する」という神話がある。しかしコロナ禍の最中は、練習時間が強制的に減らされました。それによって競技力が下がるかと思ったら、実際はそうでもないケースが多かった。知識の共有はオンラインでできるし、それは新型コロナが終わった後も慣習として残っています。
実は筑波大ADでも、大学内の部活で練習時間のコントロールに取り組んでいたのです。例えば男子ハンドボール部では、全体練習時間を1回あたり90分、週6時間に制限。一方で練習の質を向上させ、部活動と学業、プライベートを両立させつつ、競技力を高めるチャレンジを行いました。結果、「練習の時間を短くしても競技力を高められる」という発見があり、逆に「今までは何だったんだろう?」という疑問も湧きました。
またコロナ禍では、アスリートがアスリートでない自分と向き合う時間が増えました。「セカンドキャリア」ではなく「デュアルキャリア」という言葉が多用され始めたのも、この数年のことです。制約が大きかった分、そこから得られたことも大きかったと思います。
―練習時間が減り、根性論が後退したことで、一般の人にとってスポーツをするハードルは下がったのでしょうか。
米原 「あの部活に入ればプライベートはない」といったことはかなり減ったようですし、スポーツとの関わり方にレイヤーが生まれたと思います。元々教員による部活動が岐路に立たされていたところに、新型コロナの流行があって部活動の改革に少なからず拍車がかかりました。「学校の部活動から地域の活動に移行すべき」という提言も出され、その過程で、ゆるい部活から、ちょっと頑張る部活、トップレベルを目指す部活まで、部活動への関わり方にも変化が生まれつつあります。
―コロナ禍でスポーツの多様化が進んだのでしょうか。
米原 一つの契機にはなったと思います。もう一度「何のためにスポーツをやるのか」という原点に立ち返ると、自己鍛錬を目的に取り組むのも一つのあり方ですし、「やって楽しく、見て面白いコンテンツ」という捉え方もある。「チームを作って目標を立て、多様な人間が一つのゴールに向かってトライする、教育の場である」という考え方、「誰でも参加できる、身体を使ったレクリエーション」という考え方、「体を動かす場によって生まれる交流や、地域とのつながりをつくるためのもの」という考え方、どれもありでしょう。スポーツの目的を何か一つに決めるのではなくて、それぞれ使い分けていくことで、人が育ち、コミュニティが育ち、地域が育つ。そういう社会的価値を提供することができるのではないかと思います。
―「人を育てる」というのは元来、教育の中でスポーツが期待されている根幹部分ですね。
米原 そうですね。だからこそ筑波大では「スポーツは人間を育てる機会である」と再定義したわけです。
教育のコンテンツとして考えると、スポーツは短時間のうちに大量のトライ・アンド・エラーを経験させてくれるという特徴があります。試合の中で1回パスが通らなかっただけでも、ワントライ・ワンエラー。バレーは25点先取で競われますが、そこでは1セットで少なくとも25回のトライ・アンド・エラーが行われています。1回ごとに戦略を立て、皆で意思決定をしてトライし、実際にワークするかチェックする。そう考えると、強力な教育機会です。
ルールを作って身体で競わせる中で、リーダーシップや自主性、協調性が生まれる。座学でアカデミックな知識を得ることとは異なる学びの機会であり、そのために活用するというのが、欧米的なスポーツの位置づけです。実際、イギリスのパブリックスクールのラグビー校からラグビーが生まれ、アメリカのYMCAからバスケットボールが生まれたように、多くのスポーツが欧米の教育の場から生まれています。
日本スポーツ界はアメリカ化していくのか
―米原さんはコーチングを学ぶためにアメリカに留学されました。日米でコーチの違いはありましたか。
米原 僕は向こうで大学の陸上チームのアシスタントコーチをしていましたが、大学レベルでもコーチはチーム戦になっています。ストレングスコーチや技術指導に特化したコーチがいて、また別に全体のスケジュールを管理するコーチがいる。そして全員が集まって、「あの選手はどうする?」といったように指導方法を考えます。「大学でこれか」と驚きました。
コーチ自身もプロフェッショナルで、選手が育たなければクビです。また、選手を育てようという場合、上から命令するコーチングではなく、モチベーティブな言葉で考えさせるコーチングをします。例えばその日の練習が2時間と設定されている場合、基本的に時間の延長はありえません。「その2時間で最高の結果を出すにはどうするか」と無駄を省き、最高のパフォーマンスを出す方法を突き詰めようとしています。
モチベーションを上げるためのポジティブな言葉とは、日本でいう「優しい言葉」とは全く違います。日本の上司は部下が100%を出さなくても優しいですが、モチベーティブなコーチは選手が100%を出さないと満足しません。「おれは生半可な気持ちじゃないよ」という、受け切れないぐらいの高揚感を打ち出してきて、何とかして100%のパフォーマンスを出させようとする。選手よりコーチのほうがエネルギーがあって、モチベーションが高いぐらいです。
―一般の人たちのスポーツの光景も日本と違うのですか。
米原 そうですね。アメリカの学生にとって、スポーツは進学のためのツールという側面もあります。ほとんどの大学に、学生アスリート向けのスカラシップ(奨学金)制度があり、競技力の高い人は無料で進学できるので、スポーツの得意なアメリカの学生は、スポーツでの進学を目指します。ですから親の熱量も全く違います。
大学スポーツが注目されるため、大学にとっても授業と同じぐらいスポーツが重要になっています。スカラシップを設けて有力な選手を確保することは、大学にとっても合理的な経営判断なのです。結果、スポーツの才能があれば貧困層でもいい大学に入り、いい就職ができて、一発逆転できる。だからアメリカでは子どもの頃からスポーツに夢を見るのかなと感じました。
もう一つ、アメリカではスポーツが多様な人々を結びつける共通言語になっている面があります。僕がいたのはヒューストンで、英語ネイティブよりも、ヒスパニックの人のほうが多い町でした。町の看板もスペイン語が英語より上に書いてあったりもします。そこでは言語を介さないで済むスポーツは、人の交流と興奮のためのツールになっています。バックグラウンドが多様であるほど、その人たちが力を合わせて何か達成しようというときに、スポーツが共通言語になりやすいのだと思います。
―スポーツの試合などを見ていて、最近変わったなと思うのは、スポーツ選手の試合後のコメントが非常に客観的なものになってきたということです。
米原 それはコロナとは関係なしに、単純に選手のスポーツへの理解が高度化しているからだと思います。プロスポーツにお金が大量に流入し、アナリストやポジション別コーチなど、戦略や選手のクオリティ向上に関わる人間が増えてきました。分析一つでも、かつては「今のはよかった」で済ませていたものが、「今のはこれこれこういうことでよかった」という形で説明されるようになり、選手自身の試合における戦略や自分の役割についての理解が進んだ。結果、プレーがうまくいって「なぜあれができたのですか」と尋ねられたときも、「いや、うまくハマったから」ではなく、「あのとき○○選手がここにいてこうしていたから、それを見て自分はこの位置に出てこうして、その連携がうまくいった」と説明できる。選手が自分で「何がよかった」「何が悪かった」を言語化できるようになったし、トレーニング現場で行われるコミュニケーションの内容が同様に変化してきているということでしょう。
―監督の統率力も注目されていますね。
米原 近年のスポーツでは、チームに共通の目標を設け、ビジョンを掲げて戦うチームが結果を出し、多くの注目を集める傾向にあると感じています。
野球のWBC日本代表チームの栗山英樹監督や、ラグビーワールドカップのエディ・ジョーンズ監督、サッカー日本代表の森保一監督など見ていると、チームとしてのビジョンがあって、各選手の役割が明確化されており、選手はそのシステムの中で伸び伸びとプレーしていて、「今時だな」という印象です。
自分と他者の多様性に順応し、自分らしさに重きを置くといわれているZ世代の若者をチームとして戦わせるときは、指導者が「こうしろ、ああしろ」「とにかく100%の力を出してこい!」と言うだけでなく、「何のために100%を求めるのか」というビジョンを掲げられるかがポイントです。選手同士もお互いの役割を理解し、信頼し合っている状態が生まれると、それぞれが噛み合い、ビジョンが達成される。選手全員が活性化したチームには、そうでないチームは勝てないんです。
ビジネスの世界でも今は、チームとしてのビジョンを掲げ、役割やプロセスの明確化が求められていると思います。
―米原さんはNPO法人「ボウタカ」の代表もされています。
米原 ボウタカは棒高跳びに特化したNPOで、「棒高跳を通じた“喜び、感動、成長する機会”の創造」を目指し、2021年に仲間たちと立ち上げました。僕は小学6年から大学院まで棒高跳びをやってきて、周囲の皆さんや先生に支えられ、「棒高跳びに育てられた」と感じています。ですから自分の使命として、これまで競技を通じて学んできたことを次の世代に還元したい。大学院時代から個人で「Boutaka Channel」というWebサイトをつくって発信していて、その取り組みが日本中の関係者から共感を呼び、コミュニティが生まれ、今のNPOという形に発展したんです。
NPOではネットでの情報発信を中心に、フリーペーパーを発行して棒高跳びの技術やトレーニング方法の紹介をしたり、交流の場としてトレーニングキャンプも始めました。この活動が一人でも多くの棒高跳び関係者にとって、「棒高跳びをやっていてよかった!」と思えるきっかけになるといいですね。
僕はよく「Good Sports, Good Future」と言っています。
スポーツの場をよくすれば、よい人間関係が生まれ、世の中もよくなる。これからも「そのために僕にできる“何か”をやっていきたい」と思っています。