哲学から、「問いをたてる力」を培う

2024年12月26日 11:00 Vol.90
   
中島 隆博
東京大学東洋文化研究所所長
Takahiro Nakajima
東京大学法学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。東京大学大学院総合文化研究科准教授等を経て、2012年から東洋文化研究所准教授、2014年から同教授。2023年より現職。研究分野は、中国哲学、日本哲学、世界哲学。著書に、『日本の近代思想を読みなおす1 哲学』(東京大学出版会、2023年)、『中国哲学史―諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』(中公新書、2022年)、編著に『世界哲学史』(全8巻+別巻、ちくま新書、2020年)など多数。

迷いや悩みを抱えるとき、人は書物や周囲の人々など、自分の外側に答えを求めてしまいがちだ。わかりやすい言葉は人の心を捉えやすいが、一方で、価値観が同一化されてしまう懸念もある。今の日本では、外からの情報偏重となり、「問いをたてる力」につながる探求的な学びが忘れられているのではないか。議論を重ねる実践的な哲学の重要性を唱える研究者に、お話をおうかがいする。
text: Masashi Kubota photograph: Masahiro Heguri

 
 
 
 

思春期に降りかかったアイデンティティの悩み

— 中島先生は著書の中で、思春期の頃、解決できない悩みに苦しんだと書かれています。

中島 中学2年生の終わり頃から、私は「自分とは何か」「生きているとはどんなことか」「言葉とは何だろう」といったアイデンティティに関わる悩みにはまってしまい、何も手がつかない状態に陥りました。何かきっかけとなる特別な出来事があったわけではありません。それまで普通の中学生として、大人に言われたとおり、勉強や部活に取り組んでいた自分に、突如、問いが一気に降ってきたのです。

ひたすら本を読んで答えを見つけようとしましたが、解決できず、悩み続けました。高校に進学してからも、答えを求めて、朝から晩まで本を読んでいましたね。3年間で3000冊ぐらいになったと思います。科学の本もあれば、歴史の本もありました。心理学の本もあって、そこでは「思春期にはこういうことで悩みやすいのだ」といった説明がなされていました。ただ、それらを読んでも心からは納得できなかったのです。

— 明確な言葉をもらうと、それに頼ってしまうという人も多いと思います。

中島 一つの強い概念が提示され、「あなたが悩んでいるのはこういうことだ」と言われると、なるほど、そうかもしれないと納得しかけるのですが、それは“自分の言葉”ではありません。しばらくすると「やはり何か違うんじゃないか」という疑問が湧いてきます。「それぞれの本は、何か決まった枠組みや概念的な前提があった上で書かれているので、その前提を疑うと成り立たなくなるのではないか」という感覚がありました。

— 高校の倫理の授業は、役に立ちませんでしたか。

中島 高校の倫理の授業は、生きた哲学ではなく、どちらかといえば過去の学説の紹介にすぎませんでした。例えば、「孟子は性善説で、荀子は性悪説」などと暗記させられるわけです。

当時の私はそれを聞きながら、「人間は、そんな単純なわけがないじゃないか」と考えてしまったのです。

幸い、通っていた高校には、大学院で学問を研究した経験をお持ちの先生が、何人かおられました。そうした先生方と対話し、ときには自宅にもお邪魔して教えていただいたことが、自分にとって大きな救いになりました。

根源的な問題そのものは解決できなくとも、学問に取り組んできた方々ですから、言葉にすることの大切さを教えてくれたのです。問いに対し、答えを得るというより、言葉で応答していく。その言葉を少しずつ変えていき、“自分の言葉”を獲得していくということですね。

—「当てはまる言葉を探り当てていく」という感じでしょうか?

中島 そうともいえます。何かがあるのはわかるのだけれども、うまく名前をつけられない。適切な言葉が見つからない。

それを一所懸命、探り続けるわけです。しかし、一人ではいくらやっても見つからず、同じ所をぐるぐる回ってしまいます。

結局、「単純化・明確化された強い概念ではなくて、弱い概念を何とかやりくりするしかないのでは」と、その頃からぼんやりと気が付きました。誰も教えてくれなかったので、気が付くまでにずいぶんと時間がかかってしまいました。

そのときの経験から、「こうした疑問は一人で抱え込んでいては解決できない。自分自身を開いて、ほかの人と一緒に探求していくことで、初めて前に進めるのだ」と実感したのです。

— その当時から、中国の古典を読まれていたのですか?

中島 中国の思想や哲学に興味を持ったのは、中学3年生の頃でした。

精神的な苦しさから本を多読するようになったとき、最初は西洋中心の思想や哲学の本を片端から読んでいきました。次第に、西洋思想のパターンが見えてきたように感じ、「別な思考のスタイルはないのか」と思って、中国思想の本を読み始めたのです。

その背景には、その頃が、ちょうど西洋哲学の置かれた状況が大きく変わろうとしていた時期だった、ということもあります。それまで日本の学問には、西洋中心主義、あるいは西洋独占主義ともいうべき傾向がありました。なかでも哲学は、特に西洋中心主義の強かった学問です。 

しかし、私が学んでいた1970年代後半から80年代にかけては、そういった西洋中心主義に対する疑問が湧き出ていた時期でした。1968年の学生運動の後、世界のあり方を改めて問うという流れが生まれ、哲学の世界でも、既存の哲学の点検が始まったのです。

例えば、「哲学とは『存在』を問う学問だ」という強力な定義があるのですが、「それは西洋中心主義からくる考え方なのではないか」と、私は疑問をもったのです。

その西洋哲学の外側に、中国哲学はありました。西洋とは異なる概念をもっているので、私はまず、そこから読み直そうと考えました。

ただ、当時日本で出版されていた中国思想の本の多くには、正直退屈な印象を受けました。ステレオタイプ化された人生訓などが多く、どうしても、原典の追究や解釈の仕方などが上手くいっていないのではないか、と思えたのです。

— 解釈に、決まった前提があるということでしょうか?

中島 それもありますが、肝心な部分が抜け落ちているのです。「孟子は性善説で、荀子は性悪説」と言いながらも、その考え方の中身については何も書かれていないのです。そもそも性善説の性とは何なのか。まずそれを考えなくてはならないのに、そこには何も書かれていません。本の中では、「性とは人間の本質である」、と軽く片付けられているのですが、それだけでも疑問がいろいろ湧いてきます。

「ここに書かれていることは本当なのかな」と思ったときは、原典に遡らないと解決できません。私は高校生の頃から、「いつか自分に力がついたら、中国思想をやり直さなくてはいけない」という気持ちを抱いていました。

— それから、哲学に興味をもたれた経緯をお聞かせください。

中島 大学に入学して哲学の先生方と出会い、特に面白いと感じたのは、「哲学には実は決まった対象領域がない」という点でした。

どの学問にも大抵、決まった枠組みや範囲があります。物理学なら物理現象が前提ですし、文学なら文学作品が前提です。しかし哲学は例外で、対象となる決まった領域というものがありません。決まった方法論もないのです。何について考えるのかが決まっていないので、方法も答えも決まっていないのです。何とも不思議な学問だと思いましたね。

中国語やフランス語などの言語は、大学時代から本格的に学び始め、大学院に入ってからは中国語の古語も勉強して、原典を訓読ではなく原語で読むようになりました。すると、やはり翻訳とは違って感じられるのです。

— そこから、日本における中国哲学を再構築するというチャレンジが始まったわけですね。

中島 そうです。でも、中国哲学の再構築だけでなく、西洋哲学中心の日本の哲学も一から見直したほうがいいと思いました。そうした考えの結晶が、2020年に筑摩書房から上梓した『世界哲学史』(全8巻+別巻)です。この『世界哲学史』は西洋中心でなく、世界の哲学を網羅することを意識しました。概念に上下のヒエラルキーをつくるのではなく、それらが循環していくようなイメージです。日本内外の哲学研究者百十数人に著者になっていただき、1年間で完成させました。ちょうど新型コロナ禍のときで、みなさんにご協力をいただける時間があったことが幸いしましたね。

— 集まった著者の中には西洋哲学の研究者もいたのですか?

中島 もちろんいらっしゃいます。その一方で、アフリカや、ラテンアメリカの哲学を研究している方々も入っています。男性中心主義を見直したいという考えもありましたから、女性や若い研究者、外国人の方にも書いていただきました。これを出せたことで、若いときから思っていたことの一部が実現できたと感じています。

 
 
 
 

複雑さを捨象することの危険性

— 中島先生は、古代思想を捉える際、当時の論争を理解し、現代における意味を考えることの必要性を説いていらっしゃいます。

中島 性善説と性悪説の話に戻ると、実は中国古典の時代には、「性とは何か」という問題について数々の議論があったのです。「性」とは当時、新しい概念だったのですね。

そこに「善」「悪」をつけることに関しても、その是非が議論されていました。「善悪と性は関係ない」と言う人もいれば、「必ず善のほうにいくはずだ」と言う人もいた。この問題については、大変な論争があったのです。ところが日本では、それを全部捨象して単純な二分法でまとめてしまっています。

私は、「性」とは本質などというものではなく、人間の生きるあり方をありのままに摑まえようとした概念だと感じています。「性」を「本質」と翻訳してしまうと、その瞬間に、もとの概念は歪められてしまう。もっと繊細に言葉を使わなければ、思想家が伝えたかった真実は見えてこないでしょう。

よく「本質主義」とか「日本文化の本質」といった言い方をしますが、それは欺瞞だと私は思っています。なぜなら「文化の本質」などというものは存在しないからです。文化とは、非常に複雑なレイヤー構造をなしており、その中でさまざまな要素が、ある瞬間にたまたま一つのまとまりをなしているという状態にすぎません。それに「本質」という言葉を当てはめて理解しようとしても、うまくいきません。

— 安易な定義をすることで、誘導が起きてしまうということでしょうか。

中島 「本質」というのは、非常に強い概念なのです。それを使うと「すべてのものには本質がある」と思ってしまいがちです。

しかし、それで摑まえられないものもたくさんあるのです。そもそもその後の発明者であるアリストテレスの「本質」とは、「そのものがそうであったあり方」といった意味のギリシア語で、言葉そのものに問いが込められているような複雑な概念です。これを、一言で訳すことは、そもそも到底できません。

哲学や思想は、きれいに体系化できるようなものではないのです。中国哲学にしても、外から仏教のように新たな考え方が入ってくると、摩擦が生じます。それまでになかった新しい概念が登場するからです。そこで論争が起きますが、その論争も噛み合っていないことが多い。お互いの概念がすれ違っているからです。ただ、そういう論争を行うことにより、自分たちが何をどう考えてきたのかがわかるし、他方で自分たちの考え方の限界もわかるのです。

例えば、「悟り」や「救済」、「輪廻」と言われると、もともとそんな概念は中国にはなかったので、「『輪廻から解脱する』? いったい何を言っているんだ」となるわけですね。

— まさに、異文化の衝突ですね。

中島 古代インドでは、人間の魂や心身について、古代中国とはまったく違う形で論じられていました。このため論争を通じて、自分たちがそれまで前提としていた枠組みが崩れてしまうのです。それを何とか立て直して、新しい形の枠組みに変えていくわけです。

新しい概念と衝突することで、それまで自分が依って立っていた基盤は、ぐらぐらになってしまう。論争しても落ち着かず、仮設の足場のような応急措置で、とりあえず土台を立て直すしかない。そうした痕跡が、過去の論争の中にはたくさん残っています。朱子学などはその典型ですね。朱子学は、仏教が席巻した後の中国の言論界の中で、改めて儒学を再興しようとして、立論されたものです。結果として、昔の儒学とは似ても似つかないものになっています。そうして生まれた朱子学も完全ではなく、ねじれがあちこちに見られます。

   
世界中から哲学研究者・学生が集ってさまざまなテーマで議論を行う、世界哲学会議。その中のセッションで、中島先生が司会を務めている場面
 
 
 
 

人の思考が未来を創る

— 概念にも時代性というものがありますか?

中島 ありますね。思考の基盤となる概念は、当時の社会のありようを反映せざるを得ないのです。一方で、思考や概念もまた、社会に反映されます。

要するに、人間が織りなす社会は複雑系なのです。複雑系はそもそも摑まえようとしても摑まえられないもので、摑もうとすると、そのこと自体で複雑系に変化が起きてしまう。摑むという行為自体が、複雑系に織り込まれていくのです。私たちが未来について考えると、考えること自体が未来の中に織り込まれていくように。

昭和の社会と、令和の社会は大きく違っていますよね。ジェンダー一つを切り取ってもそうです。それは、以前からジェンダーについての問いを重ねてきた人たちがいたからこそ、今のような未来が生まれたのです。私たちは、常にそうした変化の中にいます。

— そう指摘されると、未来について考えることに危うさも感じます。

中島 危うさでもあり、大きなチャンスでもあるのです。変化は失敗ではありません。それは「私たちの手で未来を創ることができる」ということです。一方でそれは、強い概念による未来の誘導が可能ということでもあります。

したがって、考えることには責任が伴います。「問う」とは、「今ではない別の世界を開く」ということ。「今よりもましな未来をどう考えるか」、それが未来を創っていきます。人は変化するものですから、概念が果たす役割は非常に大きいのです。

— 大人でも「問う」ということをしていない人は多いと思いますが、「問うこと」を若い世代に促すために、大人はどうすればいいのでしょうか。

中島 単純に「問う」ことを自分で実践してみることです。うまくできるかどうかは関係ありません。それを見た子どもたちが、「ああそうか、ああいうことをやってもいいんだ。じゃあ、自分もやってみよう」となるでしょう。逆に、何も考えていない大人が「さぁ考えてみましょう」と子どもに言ったところで、「あなたはどう考えているの?」と問い返されて終わりです。

今の大人たちは、考えるレッスンをあまり受けていません。与えられた問いにふさわしい答えを出すことに力を注いで、考えることで新しい問いを生み出し、世界の見方を変える方向にはなかなか進まなかったのです。そうした状況を変えるには、まず、大人自身が変わっていかなければなりません。若い人たちには、私たちが考えられなかった未来、届かなかった未来を存分に考えてほしいと思います。

とはいえ、日々忙しく過ごす大人に対して「問う」「考える」ことを求めても、社会がある程度サポートしてあげないと、難しい側面もあるでしょう。アメリカの大学教員には何年かに一度「Sabbatica(l サバティカル)」という長期休暇があります。私はそれを日本で、大学教員だけでなくあらゆる職業に導入していくべきだと考えています。1年間、どんなことをしてもいい。考えるためのレッスンを受けてもいいし、アートなど、全然違った職業に就いてもいい。

その1年間で大人たちがスキルや考える力を鍛えれば、日本の未来は大きく変わる可能性があります。

— 日本では想像することの重要性があまり認められていない印象がありますね。科学関係の研究者はよく、「日本には技術はあるけれども、イノベーションにつながらない」とおっしゃいます。

中島 日本の場合、「イノベーションを起こしていきましょう」と政府が30年間言い続けても、なかなかうまくいっていないですよね。「iPhoneは既存の技術の寄せ集めだ」なんて言われましたが、その技術をどのような形にまとめるのか、まとめたらどうなるのかという想像力がないと、技術があったとしても、iPhoneは創れないわけです。日本には、どんな未来を創造したいのか、のぞむ力が不足していた。だから、日本でスマートフォンは生まれなかったのでしょう。

日本では教育によって能力を高めることを考えますが、それはつまり「できることを広げていく」という意味です。しかし、「できること」には終わりがありません。何かできるようになったら、また次の「できること」を達成しようとするのです。

そうではなく、「のぞむ力」こそ高めていくべきなのです。「のぞむ」は「できる」とは異なる欲望の形です。「こうありたい」という未来をのぞみ、そこに言葉を当てはめていく力を指します。「私たちはいかなる社会をのぞむのか」という社会的想像力を鍛えていくことで、社会や資本主義をよりよい方向に向けられるはずです。

その意味で私は、今こそテクノロジーと哲学が手を結ぶべきときだと感じます。哲学は考える場をつくること、考え始めるきっかけを与えることができますから。

 
 
 
 

社会における哲学の実践

— 中島先生が提唱されている、対話で学びと相互理解を深めるコミュニケーションについてお聞かせください。

中島 世界各地で今、「哲学カフェ」や「哲学対話」といった活動が行われています。

哲学カフェとは、ファシリテーターの進行の下、暮らしや社会に関わるテーマからより抽象度の高いテーマまで、飲み物を片手に参加者同士が話し合うイベントです。これはなかなか盛況で、人気の高いファシリテーターには参加者が殺到するようです。

哲学対話にもやはりファシリテーターが必要です。その方が、この場が何を言っても安全で安心できる場であることを保証した上で、参加者が何らかのテーマについて、その意味や価値を考えるような「問い」を出し合い、ともに考えを深めていくことができるのです。

— 哲学対話というのは、確立されたメソッドなのですか?

中島 多くの教育機関や世界企業で取り入れられており、一般の人が参加できる哲学対話の募集をすると、すぐに埋まってしまう状況です。

東京大学大学院の総合文化研究科でも、UTCP(The University of Tokyo Center for Philosophy)を運営されている梶谷真司教授が、刑務所や学校での哲学対話を行ってい
ます。刑務所での哲学対話は、「さまざまなバックグラウンド、経験をもつ参加者ばかりなので、思いもよらない発見がある」と言っていました。学校での哲学対話では「いわゆる進学校の生徒でも、偏差値の高くない学校の生徒でも、哲学対話をやると大差はない」とも言っていましたね。対話を通じて生徒たちが生き生きしてきて、勉強を始め、おかげで結果としてですが学校の偏差値が高くなった、ということもあったそうです。

ハワイでは、貧しい家庭の子が多く学級崩壊が起きている小学校で、哲学対話を行いました。哲学対話では、コミュニティーボールを持っている人がしゃべっていいとされるのですが、対話を終えた一人の子が泣き出してしまったことがありました。「私の話を、初めてみんながちゃんと聞いてくれた」と言うのです。その学校では、対話をすることで友達と心が通うようになり、学級崩壊もなくなったといいます。そうした対話を、みなが欲しているのです。

— お話をうかがっていると、「哲学とは自由なものなんだな」と感じます。

中島 それは、決まった枠組みがないからです。哲学とは、問いをたてて考え、対話して、何かを変えていくこと、自らが変わること。ただ知識を教えることは、本来の哲学とは違います。哲学者の学説を解説しただけのものは、「哲学学」というべきでしょう。

本来の意味での哲学の実践は、むしろ中学生や高校生のほうが上手かもしれません。彼ら・彼女らは常に、アイデンティティに悩んでいますから。“自分の言葉”を摑むのに、知識が障壁となることもあります。哲学はもっと民主的なもので、日常のどこでも応用できるものなのです。

 
 
 
 

大きな概念と小さな概念

— 哲学では言葉を大事にしますね。自分が言ったことが先人の言葉そのままであることに気が付いて驚くという経験がよくあります。

中島 それは普通のことかもしれません。そもそも日本語自体、自分でつくった言葉ではありませんよね。私たちは、ほかの人々がつくり上げてきた言葉に参加しているだけなのです。

もし私が自分で発明した言語でしゃべったとしても、それは誰にも理解されません。ほかの人がつくった言葉を洗練させていき、自分に合うように調整し、表現していく。それこそ、あらゆる作家や詩人が行ってきた営みです。

今思うと私自身も、高校生のとき、悩みながらそういう作業を細々とやっていたのだと思います。

— それが先生の原点なんですね。

中島 ええ。ただその渦中にあるときは、苦しいばかりで何もわかりません。後になってみて、「そうか、あのとき自分は哲学をしていたんだな」と気が付くわけです。

私が陥った穴は、誰もが若い頃、はまったことがあるものだと思います。ただ多くの人は、「こんな苦しいことは嫌だ」と考えることをやめてしまい、大人になるとやらないのです。しかし人は、人生のどこかで深々と悩んだほうがいいと思います。哲学的な悩みを経験していると、少しはものの見方が変わるでしょう。

大事なのはどうやって、自分の言葉といえるものを見つけられるかです。みんな何かと大きな概念、例えば「自由」や「平等」といった言葉を使おうとします。学生に論文指導をしていても、最初はみんな大きな概念で論文を書こうとするのです。

でもそうすると、先人の学説の要約のようになってしまい、自分の頭で考えることにはつながりづらい。むしろ、小さな概念を見つけていくように指導すると、うまくそれが見つかったとき、いい論文になります。

小さな概念を洗練させることにより、そこに根ざした言葉も輝いてきます。いわば生き返るのです。

   

 
 
 
 

企業社会で哲学が果たす役割

— 中島先生はこれまで、企業の方々と新しい資本主義についてのプロジェクトを進めていらっしゃいました。

中島 私はこれからの世界で、哲学の果たす役割は小さくないと考えています。私たちは、否が応でも資本主義体制の下で生きています。資本主義体制は、格差の拡大など負の側面をもっています。だからといってほかの体制をもってきても、問題はそう簡単に解決しません。歴史を鑑みると、社会主義も共産主義もうまくいきませんでした。私は中国の研究家なので、そうした体制の否定的な側面や帰結をたくさん見てきています。となれば、資本主義をより良い形にしていくほかない。「資本主義を飼いならすこと」が私のテーマなのです。ある学者が「資本主義を手入れする」と言っていましたが、そんなイメージです。「手入れ」というのは小さな概念ですが、資本主義にはそれが大事なのです。

これからの資本主義は、人の価値を認め、人がつながり、人が豊かになる、「人の資本主義」に向かうべきだと、私は考えています。

日本の場合、国富は大きいけれども、資本(Capital)と富(Wealth)は違うものです。富を資本として、モノづくりに投資するように、これからはヒトにも投資していかねばなりません。そうした認識の下、企業の人たちと勉強会を行って、資本主義のあり方を問い直しているところです。

先日、NTTの澤田純会長とお話ししたのですが、澤田さんは京都大学の土木工学科出身でいらっしゃるのに、対談では哲学の話しかされませんでした。そしてその後、京都大学の出口康夫さんと一緒に、京都哲学研究所を創設されました。2023年7月に設立が発表され、大手企業も何社か協賛しています。

私の友人でドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルは「すべての企業はチーフ・フィロソフィー・オフィサー(CPO)、つまり哲学者を雇用すべきだ」と言っています。彼のお子さんはニンテンドーのゲームが大好きなのですが、彼は「ニンテンドーは子どもの成長に対して責任がある。スーパーマリオに出てくるイタリア人のマリオは、非常にステレオタイプだ。もしCPOがいたら考え直したのではないか」と言うのです。そのとき私は「大丈夫。私の教え子がニンテンドーに就職したから、いつか彼が偉くなって変えてくれるよ」と答えたのですが(笑)。

— 企業社会でも、昭和の時代はみんなで同じことをすることが求められましたが、今は「その人らしさ」とか「個性」が強調されていますね。

中島 昔は十把一絡げで、国や企業にとって役に立つ人材、作業に黙々と取り組むことができるような人材がよしとされていたわけです。今はその人の人となりや、生きざまが問われるようになりました。

よく「モノの価値しか認められなかった時代から、コトの価値が認められる時代になってきた」といわれます。モノとしては同じでも、コトが加わることで差別化ができ、新たな価値が生まれる。その狙いは、違いをつくり出すことです。そこでは「ある人がほかの人と違う」というユニークさも大きな価値となります。ですから面接でも「あなたはどんな経験をしてきて、それをどんな言葉にしているのか」と問われるのです。大変ではありますが、面白い時代になってきたと思います。

— 企業は今、学生に実践的な力をつける役割を、大学に求めています。

中島 企業が大学卒業生に実践力を求めているのは、企業が自分で人材を育てる余裕がなくなり、大学に即戦力を育ててほしいと要望するようになったということです。ただ、大学4年間で学べる知識は限られていますし、4年で身に付けた知識は2、3年の間保てればいいほうで、すぐに古くなる「消耗される知」にすぎません。一方、哲学はそれとは違う「知」です。

「読解力」という言葉があります。これは国語で使う、本の内容を読み取る力と思われていますが、実際には、「文脈を読む」「社会を読む」「心を読む」といった形で、社会の至るところで使われる力です。

オハイオ州立大学の教員で私の友人のトマス・カスリスは、「古典とは、そこに書かれた内容を教えるためのものではなく、読者が最終章を付け加えるべきものだ」と言っています。古典は「あなたなら、ここに何を付け加えますか?」と読者に問うているのだというのです。これも能動的な読解力と言えますね。それが「消耗されない知」というもので、社会の各所で今、必要とされています。

   
共著『扉をひらく哲学 人生の鍵は古典のなかにある』(岩波ジュニア新書)では、若い読者を対象に、古今東西の書籍をひもとき、哲学を切り口としたアドバイスを行う

— まさに「自ら問いをたてる力」ですね。

中島 それにより自分自身も常に更新されていきます。そうした「知」を大学時代に身に付けられたらいい、ということはいえるでしょうね。

— 中島先生は哲学の国際的な共同作業のために東京大学大学院総合文化研究科に創設された、UTCPの事務局長を務められるなど、国際的なプロジェクトも手掛けてこられました。

中島 UTCPでは「共生」を大きなテーマとして研究を続けてきました。「共生」とは、浄土宗の開祖・法然の「共に極楽往生する」という考えから来た、日本で生まれた概念です。英語に訳すのが難しい概念でした。

英語で人間を「Human Being」といいますが、「Being」とは「存在している」ということですね。神の視点から見て、人として「存在している」という意味です。しかし今や神はいなくなり、それに代わって人間が中心となって、それ以外の存在を搾取する世界になっています。私たちはそこから抜け出さなければならず、そのための新しい人間観が問われています。神に代わる強力な主体としての人間ではなく、動物や植物とともにあるような弱い主体としての人間と、それらが構成する社会を考える—。それが共生の研究です。

そこから、人間を表す新しい言葉として「Human Becoming」という言葉が出てきました。これは中国の言葉「仁」の現代語訳で、「人間は人間的になっていくものだ」という意味が込められています。

私はそこに相互を示す“co”を入れて「Human Cobecoming」という言葉を提案しました。人間は一人で人間になるのではなく、他者とともにあることで初めて人間になる
のだ、という考えです。

すると、中国や台湾の人が、「これが『共生』の適切な英語訳ではないか」と言ってくれて、Gongsheng Across Contexts: A Philosophy of Co-Becoming という英語の本を出版したのです。この「Human Co-becoming」という言葉は人間の再定義であり、西洋哲学の根本概念である存在論への挑戦ということになります。

ちなみに、今年の8月にローマで世界哲学会議が行われ、次回の世界哲学会議2028の開催地が東京に決まりました。せっかく日本で開催しますので、「日本やアジアに根ざした概念を世界に発信していく」ことが重要だと思います。

土地に根ざした知のことを「indigenous knowledge」と呼びます。これを上手に洗練させ、普遍的に共有できるようにしていく。それこそが、西洋中心主義を乗り越えていく、哲学の水平的な展開であり、新しい動きだと考えています。

   
イタリア・ローマのサピエンツァ大学で開催された第25回世界哲学会議。次回2028年8月の開催地が、投票の結果、東京(東京大学本郷キャンパスを予定)に決まった

東洋文化研究所 中島隆博

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