子どもと大人が学び合う、「寺子屋」の可能性

2024年12月26日 11:00 Vol.90
   
荒木 勇輝
NPO法人寺子屋プロジェクト代表理事
Yuki Araki
1984年京都府和束町生まれ。京都大学文学部(専攻は哲学・倫理学)を卒業後、日本経済新聞社の記者として働き、東京本社と京都支社で企業・行政・大学などの取材を担当する。子どもの頃から関心があった教育事業に関わりたいと考えて独立し、2014年に賛同者とともにNPO法人寺子屋プロジェクト(Tera school)を設立。京都を中心に全国各地で、学びの場づくりやそれを支える地域の人たちのコミュニティづくりに取り組む。また、現在はNPOの代表のほかにボードゲームデザイナーや経営コンサルタント(中小企業診断士)として働きながら、2児の父として子育ても楽しんでいる。

合理性と効率性が求められる現代社会は、他方で、“夢中になれるもの”への欲求も高まる。それが学びにつながれば、自分を支える生きがいにも発展するだろう。「全員が学習者」をコンセプトに掲げ、持続可能な学びを進める場として、お寺を活用した学びのプロジェクトを展開するNPO法人「寺子屋プロジェクト」。その活動には、年齢や環境に左右されない「自分の学び」を育むための多くの示唆がある。
text: Masashi Kubota photograph: Toshihiko Takenaka

 
 
 
 

学校とは違う、「寺子屋」での学び

— NPO法人寺子屋プロジェクトはすでに10年が経過しましたが、創設したときのことをお聞かせください。

荒木 30歳を手前に大学卒業後から働いていた新聞社を退社し、賛同者を募ってNPOを立ち上げ、実際のお寺を会場とした現代の寺子屋「Tera school( テラスクー)」の活動を始めました。

小中学生の頃に、不登校を経験した子が周りにいたり、自分自身が一般の学習塾になじめなかったりしたこともあって、学校や塾とは違う多様な教育、学びの場に以前から興味があったのです。記者はやりがいのある仕事でしたが、一念発起して挑戦を決意しました。

— なぜ、お寺で教育活動を?

荒木 「学校とは違う、民間の学びの場をつくりたいな」と考えたとき、「昔でいうところの『寺子屋』が当てはまるな」と思い付きました。そこで、記者時代に取材を通してつながりがあったお坊さんたちに、「お寺を使って学びの場ができないでしょうか」と相談したのが始まりです。

お寺には、檀家さんや門徒さん以外の人が入りづらい印象があるかもしれません。ですが、もともとお寺は、地域コミュニティの中心ともいえる場所でしたし、江戸後期から明治初期にかけては全国に1万カ所以上の寺子屋があったことが資料からわかっています。実際に現代でも、法要やご葬儀以外で社会貢献を志すお坊さんも多くいらっしゃいます。そうした方々と取材をきっかけに出会い、交流を続けていました。

皆さん、代々守ってきたものがあって、「これからの100年、200年、それをどう続けていくか」と、当たり前のようにロングスパンで発想されている姿が印象的でした。

— 現在、京都の東本願寺さんと円通寺さんが学びの場となっているのも、そういったご縁からですか。

荒木 東本願寺(真宗大谷派)さんは、僕たちがTera schoolを始めて間もない頃から活動のことを知ってくださっていました。境内の北側にある施設を「しんらん交流館」として建て替える際、「1階はいろいろな方が集う社会交流の拠点にしたいと考えているので、寺子屋活動の提案をしてみませんか」とお声掛けいただいたのがきっかけでした。

円通寺さんでは、お寺の敷地内に空き家になっていた建物があり、地域住民の方とお寺の方が京都市の補助金も得てそこを改修され、2017年に「春日会館」ができました。1階は地元の方々が寄り合いをされる場所になっているのですが、「階段があって高齢の方には使いにくいから、2階を子どもたちの学びの場として使ってみてはどうですか」と言っていただき、お借りしています。

 
 
 
 

「全員が学習者」の学びの場

— 寺子屋プロジェクトでは「全員が学習者」という理念を打ち出しておられます。

荒木 2014年に独立した当初は、「学校教育の中であまり学べないことを、幅広く楽しく学べる場所をつくりたい。自分自身も、そこで教える人として中心的な役割を担えると良いのではないか」と考えていました。ただ、設立準備の期間中に、いくつかの教育とコミュニティの場を見学し、考えが変わってきました。

今の世の中に合った知識や技術を身につけることも重要ですが、もっと大事なことは、多様な人がそれぞれを励まし合いながら、一人ひとりに合った学びに取り組むことではないかと……。

最近は学校教育の中でも「個別最適な学びと協働的な学びの充実」が目標として掲げられているのですが、小規模な民間の学びの場だからこそ、学校以上にそうしたことが実現できるのではと考えたわけです。同時に、学びの場においては、コンテンツ(参加者が学ぶ内容)よりも、メディア(多様な人が情報などを交換する媒体)としての役割のほうが重要と捉えるようになりました。

そうした考えの下、活動から2年目くらいのタイミングで、当時の運営スタッフと話す中で生まれたコンセプトが「全員が学習者」という言葉でした。

英語のスクール(school)の語源はスコレー(skhole)というギリシャ語で、もともとは「余暇」を意味していたそうです。単なる、“暇な時間”以上の積極的な意味があり、「人生を豊かにするためのゆとりの時間」といった意味合いだったようです。まさにそういった「より良く生きるためのゆとりの時間」「その時間の過ごし方」を提案していきたい、そして自分もそこに身を置きたい—そんなイメージをもって、運営を続けてきました。

—「誰かに教わる場ではなく、自分で自分の人生を豊かにする場」ということでしょうか。

荒木 教える人、教わる人が固定されている一方通行の関係ではなくて、それぞれお互いに吸収し合ったり、刺激を与え合ったりする関係がいいなと考えています。Tera schoolでは「学び合い」という言葉を使って表現しています。

「教育」と聞くと、教える側が主体となるイメージがありますが、学習は、学ぶ側が主体です。学ぶということは、「より良い人生のために、何かを志向し、自身が変わっていく」という意味合いがある。学びたいという意志は誰もがもっているはずで、その意志をかなえる場所が必要ではないかと考えたのです。

— 実際に行われているのは、どういったプログラムなのでしょうか。

荒木 Tera schoolの定期開催プログラムには、毎週行う「学び合いコース」、月2回の「プログラミングコース」、月1回の「探究ミニトリップ」があります。東本願寺のしんらん交流館では、月曜日と隔週の日曜日に、円通寺の春日会館では木曜日に開
催しています。それぞれ日曜日は15~20名ぐらい、月曜と木曜は10名ぐらいが参加されています。

参加者の年齢は幅広く、小学1年生から、70歳前後の方までいらっしゃいます。

— 各コースには先生のような立場の人がいらっしゃるんですか。

荒木 プログラミングを学ぶコースには、プログラマーとして働いている方に来ていただいていますが、「学び合い」の時間は、何かを教えてくれる先生がいるわけではありません。その場を見守る役割の人がいるだけで、その人自身も自分の学びに取り組みながら、ほかの人の学びを応援する、というスタンスで参加しています。

僕も自分の読みたい本を読んでいますし、自分の興味のある研究分野の本を読んだり語学の勉強をしたりしながら、適宜子どもたちのサポートをしてくれる参加者の方もいらっしゃいます。

—「全員が学習者」というのはそういうことなんですね。そうすると寺子屋の中での学びのテーマは、参加者がそれぞれ自分で決めていくのですか。

荒木 基本は自分で決めます。低学年のお子さんは、自分で決めることに慣れていないこともありますので、そういう子には、こちらから選択肢を提示する形で決めてもらっています。

そうした選択を繰り返す中で、「自分にとっては、こっちが大事だな」とか「こっちが好きだな」ということが次第にわかってきます。だいたい小学5、6年生から中学生ぐらいで、自分に必要なカリキュラムを自分で立てていける子が多くなっていきますね。

— 時間と場所だけ決まっていて、そこに参加する子どもに対して、大人がサポートしつつ、子ども自身が自分の学びを見つけていく、といったイメージでしょうか。

荒木 はい。一方で、参加者みんなで1つのテーマについて学ぶ時間も設けています。

平日の学び合いの30分間で行う「グループワーク」という時間です。年齢にかかわらず、できるだけチーム活動になるような形で、その時々のテーマを学ぶのです。これは創設1年目からずっと続けています。

例えば、「株式投資のシミュレーションをやってみよう」というテーマだと、「1人100万円持っている」という前提で、会社を選んで、株式に投資するシミュレーションをしてみる。小学生でも、普段買いものをするスーパーやコンビニの名前は知っていますし、クルマが好きな子だったら自動車メーカーの名前は知っています。そこで「僕はクルマが好きなんでトヨタとホンダとマツダの株を買ったことにします」といったふうに選んでもらいます。「100株買ったら、いくらなんやろう」と調べて、その金額が次の週にいくらになっているかを確認し、株価が上下した理由を考えて、みんなで発表し合うのです。

ほかにも自然科学系のテーマや、参加している大人たちが専門性をもっていることなどを中心に、手を替え品を替え、続けています。テーマを考えるのが大変なときもありますが、年齢に幅があるメンバー同士が共通のワークをすることによって交流を深められる、重要な機会です。

— 今は核家族化もあって、子どもたちが家族以外の大人や、違う世代の人と会話する機会が少なくなっています。地域の大人や、多様な人たちと緩やかに関われる場は貴重ですね。

荒木 「学びたい」という気持ちは、誰もがもっているものなので、「学びの場」を前に出すことで、結果的に多様な人が集まってくれているんじゃないかと考えています。

学びのコンテンツを看板にする、一般的な“習い事”では、似たような年齢・属性の人が集まる傾向にあります。それが悪いわけではありませんが、多様な人との交流が子どもの頃からもてるのは、やはりいい機会かなと思っています。

また僕たちは、自前の奨学生制度を設けており、就学援助が必要なご家庭に関しては、無料で通っていただけるような仕組みを整えています。それによって、学力や経済力によって分断されることなく、多様な方にお越しいただいています。ここに来たら、家庭環境とは関係なく、お互いに楽しく学び合い、交流できる。そうした場をつくれていることに、僕自身、大きなやりがいを感じます。

   
「全員が学習者」というコンセプトの下、参加者たちが、年齢やライフステージに関係なく緩やかにつながりながら、自分の学びと向き合えるコミュニティだ
 
 
 
 

専属スタッフを置かない共済型モデル

— 最初にTera schoolを立ち上げたときには、どういう形で発信されたんですか。

荒木 実は最初の頃は、Tera schoolも塾・習い事型の、「月謝をいただいて子どもが通う」という形だったんです。スタートのときにも一般の塾などと同じように、新聞折り込みをしてもらったり、業者さんにポスティングをしてもらったりしました。

Tera schoolは「全員が学習者」という学びの場を目指していたものの、事業の形が、教える人・教わる人が固定化されがちな塾・習い事型であることが課題でもありました。「コミュニティのようにつながり、誰もが参加しやすい形にできないか」と考え、2023年の10月、思い切って運営体制を「共済型モデル」に変えました。

それまでは、各コース参加者1人あたりにつき1万円前後の月謝をいただいていたのですが、月4000円の共済費を払うことで、家族全員がどのプログラムにも何回でも参加できるという、いわゆるサブスクモデルに切り替えたんです。

結果、それまでは「子ども向けの教育サービス」という位置付けだったものが、「どれだけ使うかわからないけれど、一応参加しておいて、家族のそれぞれが行きやすいときに学びに行こう」という、「家族で入っておく“学びの保険”」のような姿に、変化していきました。費用的にも、ご家族で参加しやすくなったかと思います。

また、共済型モデルに切り替えるにあたり、常駐する職員をなくして運営の負担を下げ、持続性も高めていきました。

   
東本願寺のしんらん交流館で行われる「学び合い」の時間
   
大人も子どもも、それぞれが決めたその日の学習に取り組む

— 1家族月4000円というのは、かなり良心的な価格設定ですね。運営の負担を下げるというのは、どういった理由からなのですか。

荒木 常駐する職員を配置すると、「職員の人と、それ以外」といったふうにスタッフの中でも何となく分断が生まれてしまいます。それは僕たちが目指す「全員が学習者で対等」という関係を阻害しかねないと感じたので、もっとフラットな状態に近づけたいという思いがあったんです。

そこで、常駐する職員をなくしたことで、僕も含めて、関わっているメンバーみんなにはそれぞれ別の仕事などがある状態となりました。そんな中で自分の余暇、スコレーを使って、ほかの人のためになることをやる。そんなモデルのほうが、関われる人数や、できることの可能性はより広がるんじゃないかと考えました。

実際に運営モデルを切り替えるまでには半年以上かけて、ステークホルダーによるミーティングを何度も行いました。スタッフの大学生たち、参加者の子どもたち、保護者の方たち、サポーターの方たち、お寺の関係者の方……誰もが参加できる形でミーティングをして、「これからどうしていこう」と議論し、その上でモデルを変えたのです。

— では現在、NPO法人のスタッフはどういう構成になっているのですか。

荒木 以前は僕も含め、この仕事がメインという人が3人いたのですが、去年の10月に体制を変えてからは、ここの仕事がメインというスタッフはいなくなりました。僕自身も、NPOの代表として法人運営のために最低限必要な業務はやらないといけないのですが、ボードゲームデザイナーや経営コンサルタントといったほかの仕事をもちながら、週2、3回Tera schoolに参加するという形で運営しています。

ほかにも、オンラインの学びの場を運営する人やプログラミングの専門家など、有償で仕事をしてくれているスタッフが何人かいます。その人たちにとってもこちらは副業で、生業(生活のための仕事)ではないんです。

プログラムごとにお金をいただくと、どうしてもサービス色が強くなります。塾・習い事型モデルで運営していたときは、一方的にお金をいただいている分、やはりサービス提供者としての立場を強く意識しないといけないところがありました。

今は代表の僕自身を含めて「みんなが学習者として、参加費を払ってコミュニティに参加している」ため、元職員の僕たちも以前より気楽に、自然体で参加できています。一方で、ほかの参加者の方々が運営に協力してくださることが増え、学びの場における体験の質は保たれています。体制を変えたことで、経済的な意味での持続可能性も高まりました。

— ちなみに、ボードゲームデザイナーになられたのは、どういった経緯だったのですか。

荒木 僕は子どもの頃からカードゲームやボードゲームなどを、遊びでつくるのが好きだったんです。

ゲームは、それをプレイするのが楽しいこと、プレーヤーが主役であることを前提としています。学習と結びつく面があるなと思い、「ボードゲームをつくろう」というテーマのグループワークを何回か連続でやったこともあります。

デザイナーを名乗るようになったきっかけは、Tera school主催で、環境学習のプログラムをつくるという、大人向けのワークショップを行ったことでした。そのとき1つのチームから「環境学習のためのボードゲームをつくる」というアイデアが出ました。

面白いアイデアだと思ったので、発案者の人とワークショップ後に居残りして、2時間ぐらいでゲームの骨子をつくったところ、ある会社の人が「面白い」と言ってくれて、最終的に商品化されたのです。そこで「これはちゃんと仕事にできるかもしれないな」と思い、ボードゲームデザイナーとして活動し始めました。

— ワークショップから生まれた新たな仕事だったのですね。

荒木 そうですね。実は今でも時々、自分がつくっているボードゲームのプロトタイプができたら、ここでグループワークの時間にみんなにやってもらうことがあります。いろんな年齢の人からフィードバックがもらえるので、ありがたいです。

— 代表自ら、学びの場を人生に活かしているのですね!資格試験では、誰か一緒に勉強している人がいると勉強が続きやすいと聞いたことがあります。Tera schoolもそういう効果はありますか。

荒木 あると思います。例えば月に1度、グループワークの時間を使って「目標設定と振り返り」を行っています。「今月に自分が達成したいこと」を紙やパソコンに書き出すんです。それと同時に先月の目標についての評価はどうだったかを書き出して、それらをみんなでシェアします。目標の内容は人によってばらばらなんですが、自分が過ごしてきた1カ月をまとめ、次の1カ月の方向性を考え、それをシェアする。そういう時間を取っているのは、参加者同士の交流を深めるという目的と、もう1つはお互いの学びを応援し合うという目的があります。

今は1人でもオンラインで学べる時代です。あえて集まっている意味として、お互いの学びを知って、緩やかに応援し合うということがあるわけです。これも1年目から続けています。

—「緩やかに応援し合う」というコンセプト、すごくいいなと思います。

荒木 大人の目線でいうと、小学生ぐらいの子どもたちが大勢いる中で「僕はこういうことを目指しています」と宣言してしまったら、ちゃんとやらないと格好悪いので、「やっぱり有言実行しないと」というプレッシャーがかかりますね(笑)。結局、何だかんだで代表の僕自身が一番、ここを活用して自分の仕事を広げているのかもしれません。

   
荒木さんも参加者と肩を並べて、学びに取り組む。いわゆる「教える役割」の人はいない自習空間だが、隣り合った人と自然と会話が起こったり、質問が出てきたりすることも
 
 
 
 

お寺で学ぶことの意義

— こういった活動をお寺でやることの意味を感じていらっしゃいますか。

荒木 僕たちの活動は正直、お寺でなくてもできることをやっている部分も多いと思います。ただそれでも「お寺でやるとより良くなる」という感覚はあります。大切に守られてきた場所なので、そういうところにいると大人も背筋が伸びて、いい意味で緊張感を持てるんです。それが子どもたちにも伝わって、みんなが適度にメリハリをつけながら学習できる、そういう場が実現しやすいと思っています。

現代仏教にはいろいろな宗派がありますが、ゴータマ・ブッダの説かれた教え、あるいは親鸞聖人が説かれた教えというものは、身分にかかわらず、だれもがアクセスでき、だれもが目指せるものだったと思うのです。それがまさに、僕たちがお寺でやっていることを勇気付けてくれるような気もしています。お寺という場と僕たちがやっているような活動は、やはりいろいろな意味で親和性があると感じます。

— 荒木さんたちが行っている取り組みは、京都だからできることでしょうか。

荒木 ここだからできる企画は、確かにあると思います。例えば京都は文化関係の方が多くて、先日はここで、水墨画体験のワークショップをやりました。普段は友禅師として舞妓さんの京友禅の着物の絵を描かれているような方が、そのベースにある技法は水墨であるということで、水墨画について教えてくださったんですね。

ただどの地域でもそれぞれのリソース、人、モノ、文化があるわけで、都市部でなかったら農業をテーマにしたワークショップをするとか、いろいろなことができるでしょう。

僕たちが直接、関わりがあるお寺ではないですが、聞いた話で、滋賀県のお寺で住職のご友人が、「お寺の一角の部屋に平日、何時から何時はいます」と事前に伝えて過ごされていて、そこに子どもたちが集まってきて、勝手に自分たちで宿題をするなど、学童のようになっているところがあるそうです。

人生をより良くしていくための時間や気持ちのゆとりを持っている方が、それを自分だけでなくほかの人と共有し、「せっかくだからほかの人のためになることもやろう」と思われたら、どこでもこうした活動はできると思います。

今は専属の職員もいないので、なかなか活動の場を広げることに力を割きにくいのですが、自分たち自身がやっていて活動の価値を感じているので、もっと全国に広まってほしいという思いがあります。

— 私も「うちの近所にあったらいいのに」と思います。学校にはどうしても窮屈な面があって、学びの場としてはTera schoolのような形が一番、自然なんじゃないかと感じました。

荒木 ありがとうございます。塾・習い事型だと生徒の募集もしないといけないので、オープンするにもハードルが高い面がありますが、今のTera schoolの形であれば、「ここをみんなの居場所にしたいな」と考えて、場所を提供してくださる方さ
えいたら、本当にどこでもできるだろうと思っています。みなさんもぜひ、ご近所にこうした場をつくることを考えてみてください。

よかったらこの後、みなさんも本などを読みながら、子どもたちの間に入って一緒に学んでいただけたらと思うのですが、いかがですか。

— ありがとうございます。ぜひ。

   

Tera school

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