新聞文化を伝える博物館
— まずニュースパークについてご紹介いただけますでしょうか。
平野 ニュースパークは2000年に新聞文化の継承と発展を目的に横浜に開館し、2016年にリニューアルオープンした、日本新聞協会が運営する「情報と新聞の博物館」です。設立構想の段階では、新聞製作が鉛からコンピュータへと移行していく中で、消えていく技術を保存することを目的としていましたが、その後さまざまな議論の末、製作技術だけでなく、総合的に新聞を取り扱う博物館として開館するに至りました。
— なぜ横浜の地に新聞の博物館を開館したのでしょうか。
平野 ここ横浜が、日本語の日刊新聞発祥の地だからです。明治3年12月8日(新暦では1871年1月28日)創刊の横浜毎日新聞がその新聞です。いわゆる新聞の前史的なものとして、瓦版や、新聞と名の付く冊子型の刷り物はありましたが、この横浜毎日新聞は洋紙を使った活版印刷かつ日刊であるという点で、近代的な新聞のスタイルを備えたものといえることから、日本における日本語日刊新聞の祖と位置付け、常設展示の最初のコーナーに展示しています。
これがなぜ横浜で発刊されたかというと、やはり開港地だったのが大きな理由でしょう。人やモノ、お金が集まるところには、情報もたくさん集まってきます。
そこではたくさんのビジネスチャンスが生まれ、正しい情報を整理し、さまざまな人に伝えていく役割が必要になってきます。そこで生まれたのが新聞です。例えば横浜毎日新聞には、船の出入りの時間や、当時の日本の貿易の非常に大きなところを占めていた生糸の価格などが載っていました。
政府は当初、文明開化を推し進めるものとして新聞を読むことを推奨しました。そのため、新聞はどんどん力を付けていくのですが、そうすると一転して弾圧されることもありました。弾圧があった中でも、この時代にはさまざまな新聞が生まれ、今の新聞につながっていくという歴史があります。
— 2016年にリニューアルしたとのことですが、展示の特徴を教えてください。
平野 リニューアルオープンを経て、メディアリテラシー、情報リテラシーについての展示を強化しました。デジタル化の急速な進展により大量な情報があふれる中、特に「情報社会と新聞」という観点を強く意識しています。
当館の常設展示は大きく3つのゾーンに分かれていて、最初が明治時代に誕生した日本の新聞の歴史を、過去から現代まで約200点の資料で紹介する「新聞のあゆみ」ゾーンです。ここには、自由な報道ができなかった戦時統制期の紙面も展示しています。言論の自由が保障され、その下で新聞をはじめとするメディアが責任のある報道を行い、正確で信頼できる情報が人々に届くことがいかに大切か。そうした情報が提供されない社会が、いかに人々を不幸にするのかを感じ取っていただきたいです。さらにここでは新聞製作の歴史も紹介しています。展示中の石川式マリノニ型輪転機は、現存する最古の折式輪転機とされ、日本機械学会が認定する機械遺産に認定されています。
次のゾーンは、現代の情報社会にあって、確かな情報を見極める力や新聞・ジャーナリズムが果たす役割の大切さを伝える「情報社会と新聞」。このゾーンには、2022年にメディアリテラシーや教育の専門家の方々に監修してもらい新設した「情報の森」という展示があります。子どもたちに、今の社会を生きていくために必要な、情報と付き合う心構えを養ってほしいという思いで新設しました。
最後は、取材から配達まで、新聞がどのように作られ、手元に届けられているかを体験型展示で知ることができる「新聞を知ろう」のゾーンです。新聞社が取材した情報が、紙面や自社のデジタル媒体だけでなく、さまざまなソーシャルメディア系のサービスやポータルサイトを通じて流通していることも伝えています。
常設展示室のほかにも、全国各地の新聞約130紙を1週間分配架している新聞閲覧室や、イベントのほか校外学習時の休憩スペースとしても使用している多目的ルーム、年3回程度の企画展を実施する企画展示室があります。
— 展示は幅広い年齢層が楽しめるような工夫がされていますね。
平野 やはり体験型展示は皆さんの興味を惹くことができると感じています。
ジオラマで再現した横浜港周辺の街並みにタブレットをかざすと過去にタイムスリップするという設定で、横浜の発展や日本大通りの成り立ちについて取材するARを用いた取材体験ゲームも好評です。取材した内容はA3判の新聞として出力され、お持ち帰りいただくことができます。取材が足りないと、内容の薄い記事の載った新聞になってしまいます(笑)。
歴史資料では、伝書鳩のはく製が子どもたちには興味深く映るようです。鳩が昔、その帰巣本能を生かして通信手段として使われていたなんて、今の子どもたちは想像もつかないのかもしれません。
— 横浜という土地柄、国内外さまざまな方が来館されますか?
平野 残念ながらインバウンドの恩恵にはさほどあずかっていません。2016年のリニューアルを機に教育連携活動に力を入れて、小中学生の校外学習の誘致を積極的に行っています。
現在は来館者の約半数が校外学習の小中学生です。ただ、誘致に力を入れても展示内容が難しくてわかりにくければ、せっかく来ていただいた子どもたちに良い体験を提供できません。
昔の新聞を展示しているだけでは、元々新聞に関心のある大人以外の来館者の興味を惹くことはできません。どの年齢の方でもわかりやすいように、なぜ横浜で新聞が生まれたのか? 戦争と新聞を学ぶ現代的な意味はどこにあるのか? 災害時の新聞の役割とは? 新聞記者はどのような仕事をしているのか? 新聞・ジャーナリズムの使命とは? など、幅広い年齢層に理解していただけるようなわかりやすい展示を
心掛けています。
情報社会を生き抜く力
— コロナ禍で「インフォメーション」と「エピデミック」を組み合わせた造語「インフォデミック」という言葉が広まりました。情報が氾濫する中で、情報を読み解く力はどういった役割を果たしていくでしょうか。
平野 確かな情報を見極める力は、すなわち、生きる力といえると思います。
この情報のあふれた社会にあって、情報を避けて生きていくことはできないでしょう。人間が現代社会を生きていく以上、情報を見極める力というのは、生きるのに必要な力だと思っています。
その力を試される場面が、コロナ禍では幾つもあったのではないでしょうか。当時、新型コロナウイルスについて真偽のわからない膨大な情報があふれました。刻々と身の回りの状況は変わっていき、目の前に積み重なっていく不確かな情報と、未知の事態に対峙する不安や恐怖が、罹患者や医療従事者、さらには飲食店の方々への誹謗中傷を生みました。
当時は、トイレットペーパーが店頭から消えるといった騒動がありました。トイレットペーパーが輸入されなくなるというSNSの誤った投稿はもちろんあったのですが、そのデマを否定した投稿のほうが圧倒的に多かったのです。しかし、正しい情報を伝えるための投稿や報道が、かえって人々の不安を煽るかたちとなったのか、結果として店頭からトイレットペーパーが消えてしまいました。正しい情報が流通すれば正しい結果が導き出されるとは限らないということが、情報社会の難しさであり、情報リテラシーが必要とされる理由の1つだと思います。
— SNS上で、自身の興味のある分野の情報のみを取得してしまう現状も問題になっていると聞きます。
平野 アルゴリズムで自分の興味のある話題、趣味や嗜好の合う意見ばかりが集まってくる環境は便利といえば便利です。いわゆるフィルターバブルの中にいるのは、異なる意見にストレスを感じることもなく心地よいかもしれません。
しかし、社会課題を解決するには、多様な視点での議論が必要です。そして、議論は一定の情報や知識が土台として共有されていないと、なかなか成り立ちません。土台がなく、それぞれがフィルターバブルやエコーチェンバーによって強化された意見をぶつけ合う状況は、コロナ禍で見られたような分断を生むだけではないでしょうか。
新聞はじめマスメディアの報道には、議論の土台をつくる役割があると思います。土台があるからこそ、社会課題を解決するための話し合いができます。
さらに、新聞にはひとつの出来事であっても、さまざまな見方が示されています。大災害が起きれば、政治面では政府の対応、経済面では地元や日本の経済に及ぼす影響、社会面では被害の大きさや被災された方の大変な状況などが記事になるでしょう。さまざまな視点からアプローチされた情報を得ることができるのです。何紙も目を通せば、さらに多様な視点が得られます。
さらにいえば、災害の記事を読もうと思って新聞を開いたときに、きっとほかの記事も目に入ってきますよね。そのとき、今まで自分に関心がなかった情報に触れる機会を得ることもできます。これは新聞の非常に優れた機能だといえるでしょう。
こうした新聞やジャーナリズムの役割を、ニュースパークで来館者にお伝えしていきたいと考えています。
— 情報を読み解く力というのはどのように養っていったら良いでしょうか。
平野 2022年に新しく設置した展示「情報の森」では、RPGのように、そこを冒険するためには「盾」や「スコープ」、「ひかり球」、「なかま」が必要だと説明しています。
「盾」で身を守るような態度で慎重に情報に接する。これは、たとえ見つけた情報が自分にとって重要で役立ちそうな情報でも、すぐに飛びつかず、慎重に受け止めようということです。
「スコープ」で発信者を確かめる。これは、誰が発信した情報なのか、その事柄に詳しい人や組織が発信した情報なのかを確認し、情報の信頼性を見極めようということです。
「ひかり球」で死角を減らす。これは、そこにある情報の見えていない部分を、立場や目のつけどころを変えることで見ようとしてみようということです。
そして、情報を受け取るときや発信するときに相談ができる「なかま」を持とう、と説明しています。当館は、これらが情報社会を生きる上で必要なスキルだと訴えています。
新聞から学ぶ「生きる力」
— SNSを情報収集ツールとして使うことが年齢問わず当たり前のようになっていると思います。新聞とSNSの情報の質の違いについて教えてください。
平野 新聞社がSNSで情報を発信することもありますから、SNSと新聞という二項対立で考えることが適切だとは思いません。位相が違うと思います。そうした前提の上で、新聞社が発信する情報の特徴を挙げるとすれば、新聞社はコストと労力をかけて確かな情報を提供するための仕組みを構築しており、正確さを担保するプロセスを経て世に出ているという点です。記者が書いた記事は複数の人たちのチェックをクリア
して公表されます。人々に読まれるまでに、たくさんのプロセスを経ているのです。
そういった仕組みと、プロとしてのスキルを持った人材を組織として備え、コストをかけて維持しているのが新聞社であり、組織ジャーナリズムです。
一方、SNSでは個人が自由に発信できるため、大切な検証のプロセスがない不確かな情報が世界中に拡散されてしまうことが多くあります。こうしたことへの理解を深めることも、情報リテラシーの要素だと考えています。
— 最近ではフェイクニュースの拡散も問題視されています。こちらに対してのお考えを教えてください。
平野 フェイクニュースの拡散も大きな問題です。われわれが展示やイベントで伝えたいのは、繰り返しになりますが「確かな情報を見極める力」が非常に重要であるということです。
その確かな情報を発信する新聞社の仕事や役割、ジャーナリズムの使命について、新聞を取り扱う博物館として広く伝えていくことが、フェイクニュースに惑わされない情報リテラシーを育む一助になると考えています。
そういった新聞社の使命が来館者の方々に伝わるような企画展示やイベントを、今後も展開していきたいですね。
— 展示以外ではどのような活動を行っていますでしょうか。
平野 講演会やワークショップなどのイベントを開催しています。最近では子どもたちを対象としたワークショップで、「情報の森」の展示解説を“取材”し、学んだことを記事にまとめて新聞を作るという体験をしてもらいました。実際に記事を書いて新聞にすることで、参加者には新聞をより身近に感じてもらえたのではと思います。
また、メディアリテラシーに着目した親子向けの活動を行っている認定NPO法人の森ノオトさんと「子どもがスマホを持つ前に 親子で語ろう! メディアリテラシー」を開催しました。コロナ禍における情報をめぐる混乱や課題をテーマにした企画展の期間中だったので、デマや分断、中傷などについて展示をもとに考えてもらった後に、ジャーナリストの下村健一さんに「デマにだまされない4つのコツ」と題した講演をしていただきました。
— 反響はいかがでしたか。
平野 正直なところ、ワークショップは少し難しい部分もあるかもしれないと心配していましたが、参加した子どもたちからは「自分の考えをわかりやすく伝えることが大切」、「記事だけじゃなく、書きたいことを短くまとめるときにも役立つ情報だった」など好意的な感想を多く頂きました。情報を正しく読み取り、発信する大切さを知ってもらえたのではと思います。
また、このワークショップには保護者の方も参加しており、「子どもに調べることの大切さを知ってもらえて良かった」や、「情報があふれている中で、大人になっていく子どもたちに気付きを与える良い機会となった」などの感想を多く頂けたのも、今後の活動の励みにもなりました。
森ノオトさんとのイベントも、コロナ禍という直近の出来事を扱ったこともあり、子どもたちも自分事として捉えやすかったようです。絶対にデマにだまされない人間になることは難しいですが、このイベントを通して、だまされにくいコツを伝えることができたのではないでしょうか。
これらさまざまなイベントを通じて、確かな情報を見極める力がなぜ必要なのか、情報リテラシーがなぜ必要なのか、確かな情報を発信する新聞の役割がいかに重要であるかを、より実感してもらえたのではないかと感じています。
— 最近は新聞を一度も触ったことがない子どももいると聞きます。
平野 おっしゃるとおり、新聞に触れたことがなく「新聞って何?」「ニュースパークで初めて新聞を見た」と、新聞を未知の存在のように思っている子どもたちもいます。彼らにとってもわかりやすい展示やイベントを心掛けていかねばと考えています。
— 大人に向けてのイベントも開催されているのでしょうか。
平野 2024年夏に、国立科学博物館が主導する「教員のための博物館の日」の一環で、教員や司書ら関係者を対象に、情報リテラシー教育に関する教材の紹介や伝え方のヒントを学ぶ「『フェイク』時代を生き抜くために—メディアが行う授業とは?」(ニュースリテラシー研究会主催)と、「パソコンで新聞づくり」というニュースパークの多彩なプログラムを紹介する「団体プログラム体験デー」を2日間に分けて開催しました。
こちらも当館の活動や情報リテラシー教育の意義や課題を知ってもらえたと実感しています。今後もさまざまなイベントを企画し、情報と新聞についての学びの機会を提供していきたいと考えています。
新聞だからこそできること
— マスメディアである新聞を取り扱う博物館だからこそ、情報リテラシー教育を行う意義があると感じました。ニュースパークが情報リテラシー教育に寄与できることはなんでしょうか。
平野 真偽ない交ぜの大量の情報が飛び交う現代にあって、確かな情報を発信する新聞の役割を伝えていくことだと考えます。たくさんの労力やコストをかけている点も含め、確かな情報を発信することが今の世の中でいかに大切であるかを伝えていくことが、「情報と新聞」の博物館として情報リテラシー教育に寄与することになると思っています。
— 今後のビジョンについて教えてください。
平野 当館は歴史ある新聞を取り扱う社会教育施設です。展示やイベントなどを楽しんでもらいながら、今後も幅広い年代の皆さんの「確かな情報を見極める力」を育むお手伝いをしていけたらと考えております。