第2回
東京タワーと
モンスター
~広告に見る戦後 東京の光と影~
吉見 俊哉
東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授
東京タワーと
モンスター
今日のテーマは
「東京タワーとモンスター」
お話するのは、戦後の東京のこと。そのために広告をはじめ、様々なメディアの映像資料を活用して説明を加えていきます。
キーワードは
「眼差し」です
「眼差し」ということをキーワードにしながら4つの柱でお話をします。
東京のシンボル「東京タワー」のことからお話を始めます。
東京タワーができたのは、1958年。以来、東京のシンボルとして人々の眼差しを集めてきました。 しかしながら、東京タワーにはもうひとつの秘められたストーリーがあります。
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東京タワーの秘められたストーリー?
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東京タワーには、1961年の「モスラ」以来、実に多くのモンスターに破壊されてきた、というもうひとつの歴史があるのです。
61年にモスラ、64年にキングギドラ、65年にガメラ、66年にガラモン…。
ほとんど毎年壊されているのに、よく建てなおせますよね(笑)。
日本の怪獣は、なぜ東京タワーを破壊するのでしょうか。
アメリカのキングコングはエンパイアステートビルに登っても、登るだけなのに、日本の怪獣は破壊してしまうのはなぜか?
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日本の都市には、大空襲によって破壊されてきたという記憶を内包しています。
ゴジラ映画をはじめ、モンスターによる東京の破壊は、東京大空襲の記憶をよびさます働きをしているとも考えられます。
東京空爆と東京大空襲
東京空爆と東京大空襲
全く同じ出来事が、どこから見るかで全く違って見えます。
アメリカ軍の視点は空からの目線。空襲にさらされる日本人の視線は路上に向けられています。
アメリカ軍は、空爆をする直前に、必ず偵察機で非常に精密な航空写真をとって、詳細に調べています。
その航空写真をもとに、非常に精密な日本列島の模型をつくっています。
シミュレーション、つまり空爆の前にパイロットが模擬飛行できるようにしているのです。一方、日本の漫画家達は空爆される視点を描いてきました。
戦後日本とカメラのまなざし
次にカメラからの視線について考えてみましょう。
カメラによる視点は、戦後どのように私達の社会に入ってきたのでしょうか。
アメリカ軍は、日本に上陸の際、沢山のカメラを持ち込んでいます。
とりわけ、沢山写真が撮られたのが、昭和天皇です。
また、日本の子ども達や風景もカメラからの目線で撮影されていったのです。
この、カメラの眼差しが日本社会にあまねく入っていったのです。
皇太子のご成婚や東京オリンピックを通して、テレビカメラの目線と日本国民の目線が一体化したのです。
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戦後東京を建設する
カメラの浸透が、戦後の東京にどのような意味を持ったのでしょうか。
東京オリンピックをモーメントとする戦後日本の発展について考えていきましょう。
オリンピック・シティ東京の建設において、高層化の原点を成していったのが東京タワーです。
東京タワーは、「上に伸びていく東京」を最も具現化しているのです。
当時、東京タワーを見つめる視線は、基本的に「見上げる」視線で描かれています。
東京タワーは、本来は電波塔です。
この建設に決定的な役割を果たしたのは大阪の新聞王の前田久吉。空撮事業の強化を目指し、「空からの視点」への欲望を持っていました。
1958年の東京タワーの建設で、テレビに対する欲望が、50年代~60年代に一気に広がり、やがて映画からテレビの時代へと移ります。
そして、東京のメディアは、日本全体を覆うように広がっていきました。
空からと路上からの視点の対立は、1960年代がギリギリです。
多くの人たちが東京オリンピックを見るようなまなざしに同化していきましたが、一部のドキュメンタリーをつくる人々は、そのようなまなざしの変化に疑問を持っていました。
虚構化する東京
1980年代以降、人々の眼差しはどのように変化していったのでしょうか。
都市の描き方や眼差しがすっかり変わっていきます。キーワードは「虚構化」ということです。
近代化・モダニズムのシンボルだった東京は、1980年代になると、断片化して虚構化されていきます。東京タワーも、ある種のパロディの素材のようになっていきます。
東京タワーのイメージがバーチャルなものに変わっていったのと表裏をなすように、ゴジラのイメージが変容していきました。
圧倒的な破壊者としてのゴジラと、復興する日本が、対立関係にありました。しかし、ゴジラから暴力性が衰退していって・・・カワイイ化していきます。
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1970年頃までは、モダニティの実現と戦災の記憶が対立関係にある場として東京が描かれていました。
しかし、80年代以降は、東京全体が虚構したバーチャルなイメージを持つようになりました。
メディア的なイメージが、物理的な空間や記憶を飲み込んでしまったのではないでしょうか。
衛星的/神経的まなざしと東京の内爆発
現在、このような問題は、どう考えられるのでしょうか。
かつての空からの視点は、衛星的な視点まで高度化しました。それでは、地上の視点は、どのように可視化されているのでしょうか。
様々なメディアやシステムを内包している都市が、内側から崩れていきます。
その現象が、映画やアニメなどで描かれています。眼差しをめぐる相克は、完全に消えてしまった訳ではありません。
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トークセッション
トークセッションでは、岡室先生も登壇されて、白熱した討議が展開されました。
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岡室:
面白かったですね。
見下ろす視線、見上げる視線、等身大の視線。
視線のお話がすごく面白かったです。
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吉見:
未来への視線と過去への視線。空間的な距離と時間的な距離が重なっているんですよね。
そういう距離感が60年代には存在していたんですよね。
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岡室:
東京を破壊するゴジラの光景が大空襲の記憶と重なるっていうのはすごく面白かったんですけど、発展のベクトルに対して、それをフラットに戻していく衝動、ともみることができるのではないでしょうか。
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吉見:
確かに多義的な解釈が可能ですよね。
岡室:
私も一晩中議論していたいくらいです。
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岡室:
大友克洋のAKIRAでは、発展のベクトルに対して、常にフラットに引き戻す欲望が交錯してせめぎあっていますよね。
東京という都市自体がそういう2つの欲望を内包しているのではないでしょうか。
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吉見:
破壊的な力をもったゴジラをそのままCMにすることはできないように、広告が描き出せる東京と映画や演劇が描く東京は違っていますよね。
それぞれのジャンルの視線の違いが面白いと思います。
岡室:
今日の授業を通して、広告って自由だな、と思いました。